「ともに乗り越えよう」 気仙沼からも参加者  スマトラ沖地震・津波から7年 アチェで追悼式典開く

 「私たちは大丈夫です」―東日本大震災が発生した三月十一日の夜。宮城県気仙沼の避難所で、責任者を務めていた市教育委員会学校教育課課長補佐の伊東毅浩さん(四九)が、マグロ漁船のインドネシア人船員たちから聞いた言葉だ。気仙沼港を母港とし、出航を目前に控えながらも船が津波で陸に打ち揚げられてしまった船員たち。震災直後、船にあった食料などを何度も往復して避難所へ持ち込み、炊き出しなどに献身的に協力した。冷え込んだその日の夜、「そのお礼に」と思って伊東さんが毛布を渡そうとしたときの返事だった。
◇ ◇ ◇ ◇
 二〇〇四年十二月二十六日に発生し、アチェなどに壊滅的な被害を与えたスマトラ沖地震・津波の発生から七年を迎えた二十六日、アチェ州アチェ・ブサール県で州政府主催の追悼式典が開催された。伊東さんは式典であいさつに立ち、「ぜひインドネシアの人々に知ってもらいたかった」との思いで、このエピソードを紹介した。
 伊東さんら東日本大震災の被災地など東北五県の教師や教育委員会の関係者ら二十二人は、国際協力機構(JICA)の教師海外研修プログラムでインドネシアを訪れ、式典に出席。
 伊東さんは出席者に「津波で家族を亡くした人の心の傷は消えないが、日本とインドネシアが協力を続けていくことで、豊かな街、豊かな国をつくっていきたい。そのためにも子どもたちへの教育を大事にしていきたい」と呼び掛けた。
 式典会場には、東日本大震災や阪神大震災の被災者のメッセージが書かれた黄色い紙の花も飾られ、遺族ら会場に集まったアチェ市民約六千人とともに、被災の経験を共有し、乗り越えていこうと誓った。
 元独立派武装組織・自由アチェ運動(GAM)幹部で、〇六年の初の直接選挙で選出されたアチェ州のイルワンディ・ユスフ知事は式典で「津波はインフラを破壊しただけでなく、多くの人々の命を奪った」と述べ、「私はアチェの人々に立ち上がって経済を再建し、より良いアチェの未来を築いていこうと呼び掛けてきた」と振り返った。
 また「災害後にわれわれは、日本をはじめ災害に見舞われた地域の人々を気遣い、同情する感覚が芽生えた」と述べ、「多くの支援をもらった国の一つである日本で起きた震災に対し、アチェ州政府も支援をしたかったが、(復興途上にある)われわれはそれができなかった。ゆえに心からの応援を続けてきた」と語った。

◇スマトラ沖地震・津波
 二〇〇四年十二月二十六日午前八時ごろ、アチェ州ムラボ海岸沖を震源に発生。マグニチュードは九・三。インド洋沿岸の十二カ国を津波が襲い、二十二万人以上が死亡、行方不明になった。アチェでの死者・行方不明者は十七万人。津波は地震発生から二十分ほどで州都バンダアチェ市街を襲い、高級住宅地や商店を飲み込み、内陸四キロの地点まで達した。約三十年間、アチェでは独立派による武力闘争が行われていたが、津波の壊滅的な被害で和平への機運が生まれ、翌二〇〇五年にアチェ和平に関する正式合意が署名された。

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