帰還した警察一家 津波を撮影した自宅へ

 まぶしい海の光の中から、真っ黒な水のかたまりが押し寄せてくる。少しずつ水かさを増し、周辺の住宅をのみ込んでいく。あっという間に平屋の屋根を超え、辺り一面は海原となった。「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」。2階のベランダに集まり、神の許しをこう家族たち。目の前の光景がただただ信じられない。身動きもとれず、ただひたすらビデオカメラを握りしめ、止まることのない濁流や泣き叫ぶ家族を記録した。
 津波発生後、メトロTVが繰り返し放映した映像がある。バンダアチェ市ジャヤバルの高級住宅2階から、当時高校生だったチュット・プトリさんが撮影したもので、海岸付近に密集する高級住宅地が少しずつ津波にのみ込まれていく様子を克明にとらえ、世界に衝撃を与えた。
 あれから10年が経過し、この家には現在、当時の家主である故サイド・フセイニ氏の妻と息子サイド・イクラムさん(30)の2人が住んでいる。映像を撮影したプトリさんはイクラムさんのいとこで、海外留学を終えて現在ジャカルタで暮らしているが、頻繁に帰郷する。津波10年の26日はバンダアチェで迎えるという。
 イクラムさんによると、家は津波の後、2年ほどオーストラリアの支援団体に貸し出し、その後韓国の研究者グループが短期間使用した。その間家族は別の場所で暮らしていたが、津波から5年たった2009年ごろ戻ってきたという。「ここに住むのはやはり恐い。でも私はこの家で生まれ育った。引っ越すつもりはない」。近隣住民はほぼ元の場所に戻ってきた。家の前には現在、4階建ての避難シェルターが建設中だ。来年には完成する見込みという。
 父のフセイニ氏はバンダアチェ市警の本部長だった。地震発生時は自宅にいたが、揺れが収まった後、部下とともに車に乗って出勤した。津波が襲ってきたのは、この数分後だった。「私は数キロ離れた場所で仕事をしていたため助かったが、父は車とともに津波にのまれてしまった」
 当時20歳だったイクラムさんは父のような警察官になりたいと同じ職業を選んだ。兄弟と妹の5人全員が警察官という警察一家だ。
 自宅は車庫などを修復したが、津波前とほぼ同じ状態。「プトリさんが津波を撮影したベランダ」の前の壁一面には、来訪者のコメントが書かれている。津波が襲った1階の居間のテレビ周辺は、母や妹が大好きというドラえもんのグッズがびっしりと並んでいた。

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