復興住宅で断水・石綿被害 バンダアチェ近郊の丘陵地

 スマトラ沖地震・津波で市街地の3分の1が全壊、浸水する被害を受けたアチェ州州都バンダアチェ。住まいを失った被災者を対象に約14万戸を再建したが、10年近くが経過し諸問題が続出。移転して空き家になったり、売却・賃貸したりするケースが後を絶たない。

 「2日間も断水して、やっと今日、水が出るようになった」。主婦のヌルハヤティさん(50)が嘆く。
 バンダアチェ市の東隣、アチェ・ブサール県マスジッド・ラヤ郡ヌフン村。対岸にインドネシア西端のサバン(ウェ島)を臨む風光明媚(めいび)な丘陵地に、各国の支援団体が造成した七つの住宅地が広がる。
 ヌルハヤティさん一家が入居したのは、香港の映画スター、ジャッキー・チェンさんが訪れたことで「ジャッキー・チェン村」と呼ばれるようになった「中国インドネシア友好村」。この地区で最も人気のある住宅地だ。
 計606戸のうち丘陵地の最も高い所にあるブロックGの家。上水道設備が隣にあるが、国営電力PLNは入居者の3分の1が電気代を滞納しているとして、今月17日、配電を一時停止。井戸をくみ上げるポンプも動かなくなった。
 滞納者とされた入居者の中には、丘陵地の下の大通り沿いなどに家を建てたり、他の地区に移転したりした経済的に余裕のある人も多い。住宅地の自治会長がPLNと交渉し、早急に滞納者に支払いを呼びかけるとの条件で通電と配水再開にこぎ着けたという。

■丘の上に住む漁民
 同ブロックの住民の大多数は漁民だった。バンダアチェのウレレ海岸に家を持っていたが、津波にのみ込まれて海に沈んだ。土地がなくなり、市街地から17キロ離れたこの住宅地へ移転した。
 夫のフセインさん(55)は入居した2007年当初、オートバイで40分ほどかけてウレレ海岸まで通い漁に出ていたが、過労で入院。娘の学費のためにオートバイを売り払った。「往復2万7千ルピアの乗り合いバスに毎日乗って海岸まで行く余裕はない」。今は家の前で日用品をほそぼそと売る。妻のヌルハヤティさんがアチェ州北部のロクスクンの実家に2カ月に一度戻り、稲作を手伝って得る収入が頼りという。

■気管支炎を発症
 住宅の問題は立地や設備など多岐にわたる。中国村に隣接する「ツーチー村」(台湾の仏陀慈済基金会が建設)では、建材に使われたアスベスト(石綿)被害が深刻化している。
 ここで5年間暮らし、最近引っ越したという主婦フィトリアニさん(39)は「1日掃除しないと、床はうっすらと白くなるほど」と話す。天井や壁に使われたアスベストがはがれ落ちて積もるのだという。
 ベニヤ板でふさいだが、すぐに外れてしまう。ペンキで塗ったこともあるが「効果はなかった」。自身のぜんそくが再発し、8歳の娘が気管支炎を発症したことで引っ越しを決意した。

■耐震住宅の導入を
 「10年近くたつと欠陥住宅の諸問題が次々と明るみになる。放置すると非常に危険だ」。シャークアラ大学工学部コンクリート・建設研究所所長のアブドゥラ教授は警告する。
 復興住宅の大多数は緊急支援の一環で建設された。作業員は地元の若者だけでは足りず、北スマトラ州メダンなど各地から動員されたが、住宅建設の基礎知識がない人も多かったという。「特に鉄骨を組み立てて作った柱の劣化や、セメントと砂の混合率が適切でなく、水量過多が原因のひび割れなどが生じている」と指摘する。
 アブドゥラ教授は2013年7月、中部アチェの山岳地タケゴンで発生した地震で多数の建築物が損壊した事例を挙げ、「再建する際、自治体に軽量コンクリート建材の導入を提案したが、高価だと拒否された」と話す。
 同教授は東工大やシンガポール国立大で土木を学び、1990年代には日本政府によるシャークアラ大工学部校舎の建設事業責任者を務めた。耐震住宅の開発に取り組み、ウレレ海岸近くにある津波防災研究センター(TDMRC)裏にモデル住宅を設置、導入を呼びかけてきた。
 同研究所で開発した軽量建材は耐震性に優れ、れんがを積み上げていく通常の壁の半分の重量で、1立方メートル当たり1200キログラム。重機もいらず、2人で持ち上げて組み立てるだけ。専門知識のない一般のボランティアでも作業できるほか、軽トラックで輸送可能なので被災地に入りやすいという。
 アブドゥラ教授は「耐震住宅だとコスト増になるというが、価格差は10%にも満たない。防災・減災の観点から、安全への配慮を優先する政策が問われている」と強調した。(配島克彦、写真も)

◇犠牲者は東北の9倍

 2004年12月26日(日)午前8時、西アチェ沖を震源とするマグニチュード(M)9.1の大地震が発生。これに伴う大津波がインド洋沿岸14カ国の沿岸部を襲い、22万人以上の死者・行方不明者が出た。東北6県とほぼ同じ面積でその半分の人口420万人が住むアチェ州と北スマトラ州ニアス島では、約12万7千人の死亡が確認され、約3万8千人が行方不明となった。犠牲者数は東日本大震災の約9倍。
 国連は「史上最大の支援作戦」として、負傷者約10万人、住居を失った51万7千人の救援復興に着手。日本政府は自衛隊を派遣し、物資輸送などを実施した。アチェ・ニアス復興再建庁(BRR)が設置され、世界各地から寄せられた援助物資、支援金を統括管理した。

◇スマトラ沖地震・津波 発生前後のアチェ情勢

2003年5月 アチェに戒厳令
2004年12月 スマトラ沖地震津波(M9.1)
死者・行方不明 計約17万人
2005年3月 二アス島沖地震津波(M8.6)
死者・行方不明 395人
8月 政府とGAM ヘルシンキで和平合意
12月 GAM武装解除
2006年8月 アチェ自治法施行
12月 アチェ地方首長選挙実施
GAMのイルワンディ州知事当選
2007年12月 アチェ空港にエアアジア就航
2008年10月 GAM指導者ハッサン・ティロ 亡命先から帰国
2009年4月 総選挙で元GAMのアチェ党が第1党に。アチェ・二アス復興再建庁が解散
2010年 ハッサン・ティロ バンダアチェで死去
2012年4月 元GAM外相のザイニ・アブドゥラ州知事当選
アチェ西海岸沖 地震津波(M8.6)死者10人
2013年1月 バンダアチェ〜ムラボ幹線道路開通
7月 アチェ山岳部ガヨで地震(M6.1)死者43人
2014年12月 津波10周年

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