【旭日大綬章 受賞者に聞く】(下) 元駐イ大使、外務次官 竹内行夫氏 外交のあり方を学ぶ 心のつながり希薄化に懸念

 いまでこそ東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国はスクラムを組みアジアばかりでなく世界の一大勢力に発展してきた。だが、そんな空気が醸成されてきたのは1990年代である。60年代から70年代、東南アジアは東西冷戦の舞台で、両陣営は軍事的にも対峙していた。
 「私がインドネシアに初めて行ったのは71年のジャカルタ出張が初めてです。ベトナム戦争の時代で『東南アジア政策』をどうするか盛んに議論していたころです。ドミノ理論で共産主義が次々に広がるという強い懸念があった。(インドネシアも担当する)南東アジア二課に2年間所属し、毎夕、議論を続けました。軍事力でなく民生向上支援で対応するのが我々の結論でした」。
 1965年、中国共産党の後押しを受けたインドネシア共産党がクーデターで政権を奪おうとした。これを阻止し成立したスハルト政権が強力な反共政治を展開。日本を始めとする西側陣営はインドネシアを東南アジアの要として期待した。民生向上、経済成長支援を推進するため78年から81年まで3年間、ジャカルタに赴任した。
 「ASEAN政策は重視されていたので、ジャカルタ赴任は大変名誉なことだと思いました。我々の考えとスハルト体制の思惑は一致していて仕事にやりがいを感じてました。
 個人的にもジャカルタ生活はエンジョイしました。住まいはクバヨランのジャラン・カルタ・ネガラの一軒家でした。住み込みの4人のお手伝いさんと非常にうまくやれたと思っています。水道もなくポンプで水をくみ上げていました。物売りや地域の婦人会の集金だとか人がいろいろ訪ねてきましたが、強盗に入られると言った危険はありませんでした。次男はジャカルタで生まれました。
 不思議なくらいインドネシアが好きになった。文化も歴史も違ってインドネシア人は怠慢だと思う時もありました。でも、本質的にはみんないい人じゃないか、と思いました。それまで北東アジア、中国・韓国を担当してきました。日本との関係に関して北(北東アジア)と南(東南アジア)でこれほどの違いがあることに驚きました」。
 2回目は2001年、大使として赴任した。
 「2回目でしたので、相手側から友達と思われました。次男はクバヨランで生まれた、と話したらそれが夫人の間で広がったりして、妻は現地社会で人気ものになりまして。夫人は意外と影響力が強く、おかげで大臣と会う時もスムーズでした。
 赴任直後にインドネシア最有力紙コンパスの取材を受けました。『私はハピエスト・アンバサダー・イン・ザ・ワールド』と返事しました。日本とインドネシアの国益は一致する。大使としてインドネシアのために働くことが日本のためにもなる。だから私は一番幸福な大使だ、という意味です。コンパスの記者も納得してくれて見出しにもなりました。
 もっとも2回目の任期は11カ月だけでした。外務次官を拝命し急きょ帰国命令が出たからです。この時期、インドネシアは重要な時期でした。ワヒド大統領は戒厳令を発令するかもしれない、と国際社会からも警戒されていました。ユドヨノ政治担当調整相から間接的に日本政府として『大統領は戒厳令の発令はやめるように』という趣旨の声明を出してほしいと要請を受けました。それほどインドネシアに信頼されていたのかと思いました。
 こんなこともありました。勤労感謝の日だったと思います。ユドヨノ氏から電話がありました。『アチェの和平会議の場所が決まらない。日本が引き受けてくれないか』との依頼です。日本への率直な信頼の表れだと受け止めました。
 そんなわけで外交のあり方をインドネシアとの付き合いの中で学びました。自分のことだけを考えてはいけない、ということです。スハルト大統領はオイルショックの際、『日本には世話になっているから』と石油を優先的に安定供給してくれました。情けは人のためならず、なのです」。
 ただ2回目の赴任では日本人の暮らしぶりを見ていて一つ気になることもあった。多くの使用人と毎日触れ合い、家の周辺の人たちとも付き合いがあるのが普通だった。
 「1回目の赴任のころは駐在員たちのほとんどは、住宅街の一戸建ての家に住んでいました。2回目となるとサービス・アパートに住むのが普通になっていました。日本の人々と現地社会とのコミュニケーションが減り、両国の心と心のつながりが薄れているのではないか、といまも懸念しています」。

◇【プロフィル】
 たけうち・ゆきお 1943年生まれ。奈良県出身。71歳。78年〜81年ジャカルタの日本大使館一等書記官、2001年に同大使として駐在。02年〜05年外務次官。08年〜13年最高裁判所判事。外務省では北米局長、総合外交政策局長を歴任。フジタ顧問。(小牧利寿、おわり)

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