【旭日大綬章 受賞者に聞く】(上) 帝人インドネシア・ファイバー元社長 安居祥策氏 イスラム社会の実像知る 帰国後もインドネシアと関係

 平成26年度秋の叙勲でインドネシア勤務経験者2人が勲章の最高位に近い旭日大綬章に輝いた。日本大使館で一等書記官、大使と二度にわたり勤務した竹内行夫氏と帝人の現地合弁会社帝人インドネシア・ファイバー(TIFICO)の社長を4年間務めた安居祥策氏である。インドネシア駐在から何を得たのか、さまざまな体験、経験をもとに振り返ってもらった。

 海外プロジェクトを手掛けてアフリカや欧州まで世界各地に出掛けていた。台湾駐在の経験もしたが、インドネシア赴任は意外だった。
 「50歳を超えて子会社帝人商事に出向し、海外勤務はもうないと思っていました。岡本社長から海外赴任を示唆されて意外でしたが、僕の年齢から言えば欧米かな、と思っていました。それがインドネシアと分かりもっと驚きました」。
 1988年、53歳で赴任した。帝人の現地合弁会社TIFICOの社長だ。何も知らず馴染みも薄いイスラム社会のインドネシア。赴任当時、湾岸戦争があり日本社会がイスラム世界に関心を強めていた矢先である。
 「欧米人との付き合いは知っていたつもりです。イスラムの人々とはどうすればいいのか、と不安でした。しかし、従業員をはじめ、人々とさまざまな場面で実際に付き合ってみると、日本人と意外によく合う。人懐こくて温和な人々だと感じました。
 インドネシア語は朝礼をはじめ、なるべく使う努力をしたつもりです。多民族多宗教国家で、婉曲に物をいうジャワ人とストレートに意見を言うスマトラ人などさまざまです。社員も出身によって対応を考える細心の注意を払いました。この経験は、その後のイスラムをはじめ国際社会の理解、対応に役立ったと思います」。
 赴任当時は政治安定の上に経済が発展するスハルト長期政権の絶頂期。積極的な外資導入策で、インドネシア経済が順調に伸びていた。
 「国全体が活気づいていて、一番いい時期のインドネシアにいたと思います。経済成長の勢いに乗り、工場を増設し利益も伸ばせた。社内の非効率な仕組みも積極的に改めることができ、在任の4年間を振り返ると、やりたいことをやらせていただいた、と感謝の気持ちがいまも大きい」。
 企業の社会的貢献にも社会の目が集まり始めた時期だった。1974年の田中首相訪問時の反日暴動発生以降、日系企業は現地社会に対しては目立っていた守りの経営から転機を迎えていた。
 「在任3年目の91年には、奨学金支援をする財団ヤヤサン・テイジンを立ち上げました。初めて奨学金を渡した子供たちのキラキラとした目が忘れられません。支給はいまも続け、多くの学生を支援しています」。
 インドネシアは国の東西の距離が東京からハワイまで匹敵する広大な国だ。
 「できる限り地方へも出かけました。われわれから見れば原始的な生活を続けるパプア州(当時はイリアン・ジャヤ州)中央高地のワメナにも行きました。ほとんど裸状態の暮らしでしたが、穴倉式住居をのぞくと中にテレビが置いてある。面食らいました。風葬文化で知られるスラウェシ島のトラジャの幻想的な光景も目に焼き付いている。世界観が大いに広がりました」。
 命令を受けた時は意外だった赴任先も付き合って「大好き」になった。平日は外国人用マンションと勤務先の往復。休日はゴルフかショッピングセンターという日本人駐在員は少なくない。
 「定年までインドネシアで、板垣社長にお願いしたのです。ところが92年に突然の帰国指令が出て、本社の取締役になりましたが、出世は同期周辺で最も遅かった」。
 帝人で社長、会長、そして日本政策金融公庫総裁と要職を歴任したが、インドネシアへの関心は幅広く持ち続けた。
 「お世話になったインドネシアのため何かしたい、と思い続けまして。帝人社内で日本語の絵本を集め、仕事を通じて親交の深かったマルジオノ夫妻の協力もいただき、インドネシア語に訳し寄付しました。看護師・介護師候補生の受け入れ条件を緩和しようと努力もしました。政界のトップとも交流の機会もいただきました。ユドヨノ前大統領とも政治調整相時代に来日した際、東京の四谷でカラオケでご一緒したことがあります。英語の歌が大変上手でした。
 軍育ちの感はあるけど、クリーンな印象の方で『国の経済発展を』という明確なポリシーがお話から感じられました。どんな国にせよその国が好きにならないと、仕事はできないと思っています」。(聞き手 斉藤麻侑子)

◇ 旭日大綬章
 社会のさまざまな分野で顕著な功績を挙げた者に授与される旭日賞の最高位の勲章。主要閣僚、大会社社長、最高裁判事など春秋の叙勲を合わせて十数人が受賞する。

◇【プロフィル】 やすい・しょうさく 1935年生まれ、京都府出身。88092年にインドネシア駐在。帝人社長・会長や日本化学繊維協会会長、総合規制改革委員、日本政策金融公庫総裁などを歴任。

 (あすは竹内行夫氏のインタビューを掲載予定)

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