「早く元気になってね」 岩手県大槌町を訪問  津波の記憶分かち合う アチェ災害孤児ら

 約十七万人の死者を出した二〇〇四年十二月のスマトラ沖地震・津波に見舞われたアチェの災害孤児らは十一月十六―十九日、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌市を訪問した。学校訪問、交流会などのイベントを通じ、地元住民と心を通わし、大津波の記憶を分かち合った。

 アチェの孤児四人は十八日、同市の大槌小・中学校、大槌、安渡、赤浜、大槌北小学校の五校の生徒児童が学ぶ仮設校舎を訪れた。津波で校舎を失った子どもら七百四十五人は、明るく笑顔で一行を迎えた。
 実は訪問前、四人は大槌町の子どもたちが悲しみに沈んでいるのではないかと心配だったという。テレビで見た津波の印象が強かったからだ。それだけに「笑顔で歓迎してくれたことがうれしかった」(ニャクティ・マルダレナさん=一六)と安心したという。
 教室でアチェの子どもたちは自己紹介し、第二の国歌と呼ばれる「インドネシア・プサカ」を合唱。「早く元気になってね」「うん、元気になるよ」と声を掛け合った。
 書道の授業にも飛び入り参加。アチェの子どもたちは筆を見るのも初めてだったが、見よう見まねで「山道」と書いた。ユルダ・プラティディナさん(一六)は「初めてで、ものすごく面白かった。ちょっと難しかったけどね」と笑顔を見せる。ユルダさんは津波で父と弟を失っている。帰り際にはアラビア語で「アルハムドゥリッラー」と神への感謝を伝えて励ました。
 同日夜には、和野地区の仮設住宅団地にある集会施設で交流会。アチェの伝統舞踊「サマンダンス」で魅せた。住民約五十人は横一列になった子どもたちの手の動きがぴったりと合う踊りに見入る。披露後はやんややんやの拍手喝采。「これがアチェの踊りか」「今度行ってみたいね」との声も出たという。

■サッカー交流も
 十九日には、大槌サッカークラブジュニアと交流し、一行からはサッカーが得意なアフマッド・ムクマルさん(一四)が参加した。
 小学生チームとの練習が始まるとすぐ、ムクマルさんの器用な足さばきにため息が漏れた。サッカークラブの子は「インドネシアの子ってこんなサッカーが上手いんだなあ」と感心したという。ムクマルさんは七年前、津波で母と弟を亡くしている。
 ムクマルさんは訪問中「しゅんとしている」ことがあったという。初めての海外滞在で、訪問団の中で男の子は一人だけだった。だが、サッカーを始めた途端、ぐんと明るくなった。
 練習後、大槌SCは「将来スターになれ」との意味を込め、星印の突いたボールとスパイクをプレゼントした。「みんなとサッカーできたことがうれしかった」とムクマルくんは笑顔を見せた。

■京都のNPOが支援
 訪問は京都のNPO「良心、市民の会」と災害孤児の保護を行うアチェのNGO「ロスト・チルドレン・オペレーション(LCO)」がアレンジした。同会はアチェの津波を契機に〇五年に発足、LCOと協力し、災害孤児の支援を行ってきた。〇七年にNPO法人格を取得し、晃月スクール(アチェ州アチェ・ブサール県)を開校。八月一日時点で百十一人の中高生が学ぶ。訪日した子どもらは同校の在校生・卒業生だ。
 今回の訪問はアチェ州が渡航費を拠出。「日イ民間大使」の石居日出雄(日本インドネシア協会参与)さんが通訳として協力した。
 子どもたちにとって初めての海外渡航。公民館に泊まり、日本式の生活を体験。仙台駅の周辺にごみがまったく落ちていないことや、生まれて初めて見た雪に感激したという。

赤浜小の子どもには元気になるよう、寄せ書きを贈った


習字に初挑戦するニャクティ・マルダレナさん(左から2人目)、ノラ・ナディアさん(同3人目)


「早く元気になってね」 岩手県大槌町を訪問
 津波の記憶分かち合う アチェ災害孤児ら

 約十七万人の死者を出した二〇〇四年十二月のスマトラ沖地震・津波に見舞われたアチェの災害孤児らは十一月十六―十九日、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌市を訪問した。学校訪問、交流会などのイベントを通じ、地元住民と心を通わし、大津波の記憶を分かち合った。
 アチェの孤児四人は十八日、同市の大槌小・中学校、大槌、安渡、赤浜、大槌北小学校の五校の生徒児童が学ぶ仮設校舎を訪れた。津波で校舎を失った子どもら七百四十五人は、明るく笑顔で一行を迎えた。
 実は訪問前、四人は大槌町の子どもたちが悲しみに沈んでいるのではないかと心配だったという。テレビで見た津波の印象が強かったからだ。それだけに「笑顔で歓迎してくれたことがうれしかった」(ニャクティ・マルダレナさん=一六)と安心したという。
 教室でアチェの子どもたちは自己紹介し、第二の国歌と呼ばれる「インドネシア・プサカ」を合唱。「早く元気になってね」「うん、元気になるよ」と声を掛け合った。
 書道の授業にも飛び入り参加。アチェの子どもたちは筆を見るのも初めてだったが、見よう見まねで「山道」と書いた。ユルダ・プラティディナさん(一六)は「初めてで、ものすごく面白かった。ちょっと難しかったけどね」と笑顔を見せる。ユルダさんは津波で父と弟を失っている。帰り際にはアラビア語で「アルハムドゥリッラー」と神への感謝を伝えて励ました。
 同日夜には、和野地区の仮設住宅団地にある集会施設で交流会。アチェの伝統舞踊「サマンダンス」で魅せた。住民約五十人は横一列になった子どもたちの手の動きがぴったりと合う踊りに見入る。披露後はやんややんやの拍手喝采。「これがアチェの踊りか」「今度行ってみたいね」との声も出たという。
■サッカー交流も
 十九日には、大槌サッカークラブジュニアと交流し、一行からはサッカーが得意なアフマッド・ムクマルさん(一四)が参加した。
 小学生チームとの練習が始まるとすぐ、ムクマルさんの器用な足さばきにため息が漏れた。サッカークラブの子は「インドネシアの子ってこんなサッカーが上手いんだなあ」と感心したという。ムクマルさんは七年前、津波で母と弟を亡くしている。
 ムクマルさんは訪問中「しゅんとしている」ことがあったという。初めての海外滞在で、訪問団の中で男の子は一人だけだった。だが、サッカーを始めた途端、ぐんと明るくなった。
 練習後、大槌SCは「将来スターになれ」との意味を込め、星印の突いたボールとスパイクをプレゼントした。「みんなとサッカーできたことがうれしかった」とムクマルくんは笑顔を見せた。
■京都のNPOが支援
 訪問は京都のNPO「良心、市民の会」と災害孤児の保護を行うアチェのNGO「ロスト・チルドレン・オペレーション(LCO)」がアレンジした。同会はアチェの津波を契機に〇五年に発足、LCOと協力し、災害孤児の支援を行ってきた。〇七年にNPO法人格を取得し、晃月スクール(アチェ州アチェ・ブサール県)を開校。八月一日時点で百十一人の中高生が学ぶ。訪日した子どもらは同校の在校生・卒業生だ。
 今回の訪問はアチェ州が渡航費を拠出。「日イ民間大使」の石居日出雄(日本インドネシア協会参与)さんが通訳として協力した。
 子どもたちにとって初めての海外渡航。公民館に泊まり、日本式の生活を体験。仙台駅の周辺にごみがまったく落ちていないことや、生まれて初めて見た雪に感激したという。




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