娘と10年ぶりに再会 アチェ津波で行方不明 実母「私の顔にそっくり」

 2004年12月に起きたスマトラ沖地震による津波で行方不明になっていたアチェ州西アチェ県ムラボ市のロダトゥル・ジャンナさん(14、当時4歳)が5日、同州南西アチェ県スソ町プロカユ村で、実母ジャマリアさん(42)ら家族と10年ぶりに再会を果たした。ジャマリアさんは自身とそっくりのロダトゥルさんを抱きしめ、「まぎれもなく私の娘」と涙を流して喜んだ。

 本紙の電話取材に対しジャマリアさんは「再会できたのは兄のおかげ」と話す。ジャマリアさんによると、「妹の子どもが(同県南東部の)ブラン・ピディにいる夢を見た」という兄のザイヌディンさんが同地を訪れ、ロダトゥルさんによく似た女児を見かけた。女児は「ウェニー」と名乗っていたが、その後、里親として育てていたブスタミルさんやサルワニさんらが「自分の子どもではない」「名前は私が付けた」ことなどを明らかにしたため、身元を調べ始めた。ジャマリアさんはザイヌディンさんが撮った女児の顔写真を見て「私の顔に似ている。娘に間違いない」と確信した。

■救助した漁師が里親に
 ムラボ市はマグニチュード9.3の巨大地震の震源に面し、津波で壊滅的な被害を受けたスマトラ島沿岸部の県都。津波が襲ってきた日曜の朝、家族は自宅にいたが、家ごと流されて離ればなれになった。ジャマリアさんは避難生活を経て別の場所へ引っ越したが、子どもたちも生き残り、どこかで暮らしているのではないかとの思いは捨てきれなかった。
 一方、ロダトゥルさんは兄のザハリ・ランクティさん(当時8歳)と一緒に木片にしがみつき、自宅から南東へ200キロ以上離れたプラウバニャック諸島まで流された。ブラン・ピディ在住の漁師ブスタミルさんが漁の最中に漂流していた2人を発見、救助した。身元の分からないロダトゥルさんをブスタミルさんが引き取った。ロダトゥルさんは救助された当時のことについて「兄は他の人に引き取られた」と話しているという。
 ブスタミルさんと妻のマリアムさんの元で育てられたのは8年間。その後は同じ地区に住むマリアムさんの母サルワニさんに引き取られた。地元の小学校に通いながら、街中でペットボトルなどを集め、お金に換えて生計を支えていた。ザイヌディンさんが姪(めい)のロダトゥルさんを見かけたのは、そんな時だった。

■覚えていたドリアンの木
 ジャマリアさんはザイヌディンさんを通じて里親であるサルワニさんと連絡を取り、1カ月後の5日、ロダトゥルさんとの再会を果たした。サルワニさんは当初、家族が人身売買目的で近寄っているのではと疑った。しかし、何度も連絡してくる熱心な姿勢を見て、ロダトゥルさんに会わせることにしたという。
 ジャマリアさんら家族はサルワニさんの自宅を訪れ、村長の立ち会いのもと再会した。6日にはムラボ市にある自宅へともに帰った。ジャマリアさんは「娘は自宅にあるドリアンの木、鶏小屋などの風景を覚えていた」と話した。
 再会した娘の名前は「ウェニー」に変わっていた。ジャマリアさんはその名前を変えるつもりはないという。またDNA鑑定を受けるつもりもない。「里親も私たちが家族だと認めているし、私たちは本当の家族だから」とジャマリアさん。
 10年を経て「奇跡」が訪れた。息子の捜索もあきらめていない。「娘との再会が報じられ、この知らせを聞いた人たちから手がかりが得られるかもしれない」。ジャマリアさんは「(北スマトラ州の)ニアス島にいるとの情報もある」と希望を語った。(アリョ・テジョ、山本康行)

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