【スラマットダタン】 連携して相互交流を 国際交流基金ジャカルタ日本文化センター所長 18年ぶり駐在の小川忠さん スラマットダタン

 インドネシアに関する著書も多数ある小川忠さん(五二)が、国際交流基金のジャカルタ日本文化センター所長と東南アジア総局長を兼務し、十月一日に着任した。九月末に任期を終え、帰任した金井篤さんの後任だ。

 一九八九年から九三年まで約四年間、ジャカルタ日本文化センターに駐在。詩人レンドラや文豪モフタル・ルビスをはじめとするインドネシアを代表する文化人や、若きアーティストとの交流も深めた。この体験を「インドネシア 多民族国家の模索」(岩波新書)にまとめた。
 「毎年、日本の首相がインドネシアを訪れ、天皇皇后両陛下も来られた」。八〇年代、日本のアジア政策が転換期を迎え、ASEAN(東南アジア諸国連合)の文化を日本に紹介しようと、日本アセアン文化センターが設立された。バブル期、湾岸戦争を経て、国際交流、貢献と声高に叫ばれた時期をインドネシアで過ごした。「二国間から東南アジア全体の域内の文化への貢献、多面的な交流を打ち出していった時代」と振り返る。

■急増する日本語学習者
 十八年ぶりのインドネシアは「非常に明るい」と映る。日本語学習者は高校の第二言語に取り入れられた結果、七十万人に達した。中韓に次ぐ世界第三位、非漢字圏で一位に躍り出た。「ここの日本語教育そのものがすごい勢いで拡大している。日本語教育史上、他国にもない稀有な状況。ビッグバンが起きている」と強調する。
 「九〇年代初頭なら、インドネシアの現代文化を紹介するだけでも十分だったが、現在はテーマを持った交流が必要になってきている。環境問題、少子高齢化問題をどうするか。人が生きる価値とは何かといった根本的問題についても、芸術という分野で企画していきたい」
 戦略的に新しい文化交流に取り組む必要性が高まる中、災害復興や防災など、日本とインドネシアの共通するテーマを取り上げることを提案する。
 〇七年から今年八月まで日米センター局長を務めた。神戸出身ということもあり、大型ハリケーン・カトリーナが襲った米ニューオリンズと神戸の市民交流を手掛けた。「阪神・淡路大震災の復興経験は、世界の重要な遺産になり得る。住民同士の社会的絆の復活において、文化は大きな役割を果たす」
 東日本大震災後、希望を失った人々の自信を取り戻すための文化交流も検討。活気のあるインドネシアに来れば、日本人も元気や誇りを取り戻すことができると確信する。「東北の芸能や文化を東南アジアに紹介し、被災地の人々が自信を取り戻す機会も作りたい」と意気込む。

■イスラムとの対話を
 注力しているのが、イスラムと日本を結ぶネットワークづくり。数年前から、国立イスラム大学の若手の教員を日本に招へいし、日本の知識人との交流を行ってきた。近代化を進めたアジアのフロントランナーである日本の経験から、良い面だけでなく、消失したものや痛みも知ってもらう。「明治時代の近代化は、江戸時代に科学的教養が大衆化し、蓄積されたものがあった上で進められた。社会、文明の歴史を通じて近代化のプロセスを知ってもらいたい」
 マレーシアやフィリピン、タイのムスリムも参加し、東南アジアのイスラムの相互理解にもなっている。東北の被災地を訪れ、ボランティア活動なども体験してほしいと願う。
 九八―二〇〇一年、ニューデリー事務所長を務めた。ヒンドゥー教徒、ムスリムの間で繰り広げられるテロを目の当たりにし、「ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭 軋むインド」(NTT出版)、「インド 多様性大国の最新事情」(角川選書)にまとめた。
 「原理主義とは何か 米国、中東から日本まで」(講談社現代新書)では、インドネシアのイスラムにも言及。米国のインドネシア研究者ベネディクト・アンダーソン氏が展開したナショナリズム論のように、インドネシアから日本や世界が学ぶものは多いと強調する。

■理解度向上のために
 近年、インドネシアでは中国と韓国の存在感が増している。だが「文化の世界で競争やパワーゲームをやっても意味はない」と指摘する。「中国と韓国を含めて、東アジア全体に対する関心をどう東南アジアの人々に持ってもらうか。東南アジアが求めているニーズを、中国や韓国と連携して応えていくか。ゼロサムゲームからウィンウィンの関係を築いていくことが重要だ」
 文化の交流や外交では、存在感、好感度、理解度の三つの要素があり、相互に反比例することもあると強調する。存在感や好感度を高めながら、相互理解を進めるためには時間もかかる。「ホスピタリティーや親切さなど、日本人が築いてきたものを大切にするとともに、日本人がインドネシアの文化を理解しようとする姿勢を忘れないでほしい」
 文化事業の予算が削減される中、これからは「知恵の勝負」。「企業、大学、非政府組織(NGO)、さまざまな機関、市民と連携し、効果的にできることがあると思う。バリや地方都市在住の邦人にも声を掛けていきたい」

◇小川忠氏
 1959年神戸生まれ。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。82年、国際交流基金入社。89―93年、ジャカルタ日本文化センター駐在、98―2001年、ニューデリー事務所長、07―11年、日米センター事務局長

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