負の遺産、足かせに 【写真で振り返るレフォルマシ②】
スハルト元大統領は法の裁きを受けるべきだったと今でも思う。
レフォルマシ(改革)運動は、スハルト氏が32年間掛けて築いたオルデ・バル(新秩序)の部分否定が原点。政府を転覆する革命でも民主化と声高に言うのでもなく、「世直し」「新しい時代」のようなニュアンスだった。
2001年ごろから、スハルト邸のある閑静な高級住宅地、中央ジャカルタ・メンテンのチュンダナ通りはデモ銀座になった。連日、「蓄財没収を」と訴えるデモ隊が押し寄せる。数百人程度が多かったが、中には2人だけで「スハルトを絞首刑に」と書かれたポスターを掲げる若者もいた。いずれも倒すべき明確な標的を持ち、機動隊にも立ち向かっていく鋭い目つきだった。
スハルト氏は検察に出頭し、不正蓄財疑惑で取り調べを受けた。だが、そこまでだった。起訴されたものの、病気を理由に一度も被告人席に座ることなく、起訴状を朗読されることもなく、閉廷した。医師団が延々とスハルト氏の脳の断層写真をスクリーンに映し出して病状を説明し、「健康回復の見込みなし」と結論付けた。医師の診断書を手に平然と捜査を拒否する汚職犯の由来はここにある。南ジャカルタ・ラグナンの農業省講堂に特設された法廷は、安っぽい演劇のセットのようで、何もかも茶番のようだった。
しばらくすると「デモは金で動員され、暴れるだけの集団」と見なされるようになった。「渋滞の元凶」と市民の反感を買うのを恐れ、日曜の朝にデモを限定する団体も出た。スハルト氏が入退院を繰り返すようになると同情論も増え、死亡直後には「国家英雄に認定を」の掛け声。過去の清算はせず、スハルト氏の功罪を真剣に議論する気運はついに訪れなかった。
今年に入り、久しぶりに政治家の口からワヤン(影絵芝居)の登場人物の名前が聞かれた。「スンクニ」たちの政治。偽善的で狡猾(こうかつ)、欺まんに満ちたスンクニにユドヨノ大統領らを例えたのは、民主党党首を解任されたアナス・ウルバニングルム氏。レフォルマシを率いた15年前の学生活動家だ。
ワヤン好きだったスハルト氏。その政治もワヤンに例えられた。すべてを操るダラン(人形遣い)の独裁者はもういない。さまざまな負の遺産を見極め、次世代に何を継承していくのか。政争に明け暮れ、自滅する政治家は何を残せるのか。「前進あるのみ」。今でも歌われるデモ隊の愛唱歌だ。(配島克彦)