お母さんは忘れない 5月暴動から15年

 スハルト独裁政権崩壊の引き金となった1998年の5月暴動から13日で15年が経過した。全国各地で同時多発した暴動のうち、最多の死者288人を出した東ジャカルタのショッピングモール旧ジョクジャ・プラザでは遺族ら約100人が献花し、犠牲者を追悼した。暴動拡大の責任者の1人で、同政権末期、軍の一連の秘密工作を手掛けたプラボウォ・スビヤント氏が有力大統領候補として取りざたされているが、過去の人権侵害事件の究明を訴える声も根強くある。       

 遺族らは13日、現在はモール・チトラ・クレンデルとなった跡地に集まり、ポンドック・ランゴン共同墓地で犠牲者の死を悼んだ。
 当時、ショッピングモールの中には大勢の買い物客がいた。ルヤティ・ダルウィンさん(67)の長男エテンさん(当時32)は、放火され、炎に包まれる建物の中にいた子どもを救出するために火の中に飛び込み、亡くなった。
 ルヤティさんは「私のように自分の家族を亡くした人が大勢いる。華人も取り返しのつかない被害を受けた。暴動の真相を1日も早く究明する必要がある」と力を込めた。
 暴動の跡地で献花した後、共同墓地へ移動した。遺族の多くは黒い衣服を身につけ、犠牲者のめい福を祈り、墓石にピンクや赤、白のバラの花びらを撒いた。
 子連れで参加したリリンさん(29)は5月暴動について「もう昔のことになり、みんな忘れてしまっている。自分も子どもを持つ親として、次の世代に伝えていかないと同じような人権侵害が繰り返されてしまう」と話した。
 人権団体「コントラス(行方不明者と暴力犠牲者のための委員会)」のプトリ・カネシアさんは「今年は節目の年。忘れられてしまうのが最も危険だ」と暴動の風化への懸念を示した。
 国家人権委員会は被害者らの証言を基に、意図的に暴徒による襲撃、略奪、放火などが放置され、煽動された形跡があると指摘。当時の国軍幹部ら約20人が暴動を画策した疑いがあるとの報告をまとめ、2005年に最高検へ提出したが、捜査は行われていない。国会も暴動は人権侵害事件ではないと判断、人権特別法廷設置案を拒否している。(赤井俊文、写真も)
■5月暴動
 スハルト大統領(当時)の退陣を求める学生4人が射殺されたトリサクティ事件翌日の13日から15日にかけ、ジャカルタ、メダン、ソロ、パレンバン、ランプン、スラバヤなど各地で暴動が発生。ジャカルタでは商店街や民家の破壊、略奪、放火が相次ぎ、千人以上が死亡(国軍発表は463人)、車1500台以上が破壊された。華人を中心に60人以上の女性が暴行されたとされる。

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