【火焔樹】知られざる文化の共通点 (2015年07月10日)

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 「無知が原因の過ちは、相手に真心さえあれば許すことができる」と誰かが言っていた。我々が知っている無知は、教養がない人のことを指すことが多い。発展途上国には無知な人が多いと言う人がいるが、果たして、それを言う人は無知ではないのかと、思うこともある。
 世界には、多くの無知な人がいると思う。先進国で俗に言われる教養のある人でも、知らないことは、たくさんあるだろうし、それが故に間違いを起こすこともあると思う。だから、国の発展度合いに関わらず、みんな等しく無知な人が多いのだ。かくいう僕も、無知だ。
 真心を持っている人ももちろん多くいると思う。ということは、無知な人でも真心を持っている人も多くいるわけだから、たいていの過ちは許し合えるということになる。
 レバランと呼ばれる断食明けの大祭の日には、人は完全ではないという考え方から、お互いの無知を認め合い、真心を持ってお互いを受け入れ合い、そして許し合い、生まれ変わろうとする。朝の礼拝後は、子から親へ、親から子へ、兄弟、親族、友人、同僚などと過去の過ちを許し合うのである。
 日本の正月だって本来は、大みそかの日に、過ちから来る罪の意識を含んだ煩悩を取り除き、新年を前にして古いものを捨て、新しいものへ移るという意味があるように、生まれ変わって正月を迎える。
 最近、インドネシアでも日本の「あけおめ、ことよろ」(「明けましておめでとう、今年もよろしく」の意味)のような軽い乗りで、あいさつを済ませる人が多くなった。時代の流れは、神聖な日までも押し流してしまう風潮に、少しばかり残念に思う。
 日本の正月の良い面にも通じるレバランの日は、日本とインドネシア、そしてイスラム世界との知られざる共通点かもしれない。ムスリムではなくとも、レバランの日に自らを省みて、相手の真心を感じ取り、お互いを許しあい、受け入れ合うことができたなら、素晴らしい文化の融合になっていくと思う。(ジャカルタお掃除クラブ代表 デワント・バックリー)
 

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