【ジョコウィ物語】(17) 追風受け街づくり 9割得票し再選 (2014年11月24日)

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 バンジャルサリ露店商移転で人々に手腕を知られ、追い風が吹いた。評判はジャカルタまで届き、週刊誌テンポは500近い県市の首長から「2008年の10人」にジョコウィを選んだ。「露店商市長」とたたえたのだ。
 移転に集中した予算が他の政策にも回り、成果が広がる。家具取引で欧州各国を訪れたジョコウィはソロを環境にやさしい文化的な街にすることを目指した。
 まず「歩ける」こと。目抜き通りに歩行者専用通路「シティウォーク」をつくり、カーフリーデー(歩行者天国)を導入。道路から露店商がいなくなると、自転車を利用する市民が増えた。市の土地に緑地の割合を高め、公園を増やし庶民のいこいの場をつくった。
 「最初に計画を綿密に策定し、一貫して実行するので、難しさはなかった」。交通情報局長のヨスチャ・ヘルマンは回想した。早期に高度道路交通システム(ITS)が導入されたソロは大渋滞が起きない。交通の要所48カ所に置いたカメラなどの情報を中央に集約して、流れを管理する。
 公共交通も充実させた。市営バス「ソロバティックトランス」、2階建ての市内巡航バスでバス網を整えた。国鉄は09年市の東西5.6キロをつなぐ蒸気機関車「C1218」を開通(現在は休止)。12年8月には電気式小型気動車「レールバス・バタラ・クレスナ号」で、観光名所のジョクジャカルタとソロを結んだ。
■観光でも大成功
 観光ではソロの「ブランディング」に着手した。「スピリット・オブ・ジャワ(ジャワの魂)」というキャッチコピーを発案し、2006年に世界遺産都市機構(OWTC)に加盟すると、名実とともに「古都」のブランドを手に入れた。08年にOWTC会議のホストになり、世界の首長450人をソロに集めた。
 「ジョコウィは自分でセールスをしてイベントを増やした。観光客は増え、ホテルの室数は急増した」。文化観光局長のエニーは思い出す。08年に「リオのカーニバル」を彷彿とさせる「ソロバティックカーニバル」が始まった。バティック素材を取り入れた流麗な衣装の人々が目抜き通りを練り歩いた。24時間市民が踊り続ける「ソロ踊りの日」に毎週日曜日のナイトマーケット、市中央広場では常に催し物が開かれている。
 ほかにも、08年1月から簡易医療保険を導入。低所得者層向けの奨学金も導入した。アニャル川、ソロ川の違法住居を撤去し、公営集合住宅(団地)に移転。二つに「分家」したソロ王家の和解の仲立ちをした。
■熱烈なファンの会
 追い風は続いた。2010年5月のソロ市長選では、「露店商市長」は90.09%の記録的な得票率で再選された。
 熱烈なファンも現れた。日刊紙スアラムルデカ記者のヘル・スヨノと家具商ナナン・スティヤワンはジョコウィを応援するフェイスブックのコミュニティーで知り合い、「コピ・ダラット(オフ会)」で意気投合した。ヘルは「最初のオフ会は緊張したが、ジョコウィのことを話すとすぐに盛り上がった。歩行者天国の日には、ジョコウィの顔を印刷したTシャツを着て行進し支持を訴えた」。2人はジョコウィの生い立ちから何もかもに詳しい。「彼がソロを変えた。ソロから人々のことがわかる大統領が出たんだ」。(敬称略 吉田拓史 写真も)

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地元記者の取材を受ける文化観光局長のエニー・テャスニ・スザナ
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