【ジョコウィ物語】(16)移転の壁を越えた 露店商の利を増やす (2014年11月17日)

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 ソロ市内の半数の露店商が集中するバンジャルサリ。移転には多くの障害があった。
 バンジャルサリの露天商は想定された千人よりも多く、03年から05年まで倍増し2526人。市内の露店商の総数も同期間に6割増えた。近隣6県から仕事を得られない人々が露天商に流れる構図だった。
 市場新設は2014年現在も進行中の事業であり、予算は限られていた。施工にもむらがあった。06年5月完成のモジョソンゴ市場では塗装が間に合わず、「準備不足」と非難を浴びた。
 長く路上で商売した人々は環境の変化を不安がった。露店商の半数が集まる「本丸」、バンジャルサリの抵抗はとても強かった。

■バンジャルサリの成功
 ジョコウィは移転の条件を良くしようと努めた。プレマンの末端を、移転先の警備員や駐車場係員として再雇用した。露天商千人に1日400ルピア支給。開店資金を数百万ルピア渡し、移転後の自立の道筋をつくろうともした。
 市場の入居費も低く抑えたため、市場を新設、改築した費用を回収できていないとの批判がある。しかし市場管理局の担当者は「運営費や設備の維持費をまかなえればいいという考え。移転と市場改築には多方面に利益がある」と説明する。「予算をいくつもの市場建設計画に使うのではなく、集中投下した」。
 移転先で自立できれば、現金を配るよりも効果的な低所得者対策になり、渋滞対策や都市計画も円滑に進められる。無法地帯から公的な場所に商人を移すこともできた。
 別の力学も働いたようだ。「彼は闘争民主党(PDIP)の党員」。移転交渉の当事者、ノトハルジョ・リサイクル商協同組合代表のエディは右腕のジョコ・スギハルトの肩をたたいた。エディ自身は民族覚醒党(PKB)の党員。「われわれはなんとかうまく運ぼうとした」。両党はジャワ島で強く05年6月の市長選も、14年大統領選もジョコウィを推薦した。

■シャトルバスで客運び
 2006年末、バンジャルサリが落城し、露天商のノトハルジョ市場への移動が始まった。だが、新しい問題が噴き出した。「南に移り閑古鳥が鳴いた」とエディは述懐した。失敗すれば、他の移転も座礁しかねない。ジョコウィは地元テレビ、新聞に広告を打ち、「陸の孤島」の市場に市中心部からシャトルバスを走らせた。市場は自動車部品、楽器、家具などのリサイクル品を商う商人でにぎわい始めた。やがて移転は自然の流れになった。
 ジョコウィは「ゾーニング」を市内のほとんどの露店商に適用した。飲食店、書店、工芸品売りも専用スタンドをつくり収容した。立ち退いた場所には敷石で歩道をつくり木々を植えて、元に戻れないようにした。ソロの街は碁盤の目の構造をしていたことも、ゾーニングを容易にした。
 市場改築はもともと市場にいた零細商人の基盤も強くした。市中心部、オランダ植民地時代に建てられ、老朽化したものを改築したグデ市場協同組合代表のジュマディは「市場は98年の暴動とその後、2回火災に見舞われたが、ジョコウィの改築で零細商人は息を吹き返した」と話した。
 警備隊と露店商のにらみ合いもしばしばあったが、市長の態度は一貫していた。市場や露天商地帯にある「事務所」の撤去では、プレマン、自警団のものだけでなくPDIPのものも撤去した。

■衣料品店、大半は廃業
 すべてがうまくいったわけではなかった。ノトハルジョ市場では、1人で数テナントを借りるリサイクル品商人もいる一方、衣料品店の大半は廃業。当初の移転者から入居者は入れ替わった。移転と同時期にショッピングモールの出店を禁じたため、南に接するスコハルジョ県の市境付近にモール・複合開発の二つが集中。一部の投資が市外にこぼれた。(敬称略 吉田拓史、写真も)

市中心部、オランダ植民地時代に建てられたグデ市場協同組合代表のジュマディ(左)。「4平方メートルのスペースを日千ルピア(約9円)で借りられる」
市中心部、オランダ植民地時代に建てられたグデ市場協同組合代表のジュマディ(左)。「4平方メートルのスペースを日千ルピア(約9円)で借りられる」

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