【火焔樹】名前で呼ぼう‥ (2013年11月15日)

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 「この国は‥あの国は‥」「この国の人は‥あの国の人は‥」という表現をすることがある。別に差別用語でもなんでもない。でもほんの少し寂しい感じがする。インドネシアでのことなら「インドネシアは‥」日本であれば「日本の人は‥」とならないものか。
 せっかく名前があるのだから、名前で呼んだ方が聞こえはいい。人の関係で例えるなら、「あいつは‥」「あの子は‥」気心知れて何を言っても理解し合える間柄ならいざ知らず、そうでなければ、生意気な奴、あるいは、冷たい人と思われても仕方ない。
 「ネシア」と略する人もいる。これも差別用語に定められているわけではない。長い名前だから、省略しているだけのことなのだろうが、時々耳障りに聞こえる。別に「ネシア」とインドネシアの人の前で言っても気にする人は誰もいない。さげすんだ意味を込める人も中にはいるようだが、そんなネガティブな意味を理解するインドネシア人はいない。その由来は分からぬが「ネシア」とは、一部の日本人の間だけで通じる、上から見下したものの言い方でもあるのだ。
 これを禁止する企業もあると聞いたことがある。インドネシア人従業員の前で「ネシア」と言ったところで誰も理解せず、問題になんぞなりはしないのに、禁止した経営者はすごいと思う。例えそれが日本人同士でしか通じない言葉であろうと、同じ人としてお互いを尊重しようという姿勢の現れだろうか。
 「日本人同士でしか通じず、インドネシア人には通じない」。にもかかわらず、私にはそのニュアンスの微妙さに心痛めることも、言葉を発した相手の真意を計り知ろうとすることもある。まったくもって得体の知れぬ人間が世の中にはいるものだと、やっぱり半分インドネシア人だからインドは省略して自分は「ネシア人」かなんて、若い頃には訳の分からぬことをつぶやいたものだった。
 「Indo(様々な要素が混同している)」「Nesia(島々)」インドネシアという偉大な群島国家を表した立派な名前だ。名前で呼ぼう。(会社役員・芦田洸=ツヨシ・デワント・バックリー)

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