【変わるタナアバン】(中) 再開発、目覚める (2013年09月06日)

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 「露天商の総本山」、「オランダ植民地時代からの伝統市場」―。露天商強制撤去を終えた中央ジャカルタ・タナアバンに再開発の足音が聞こえてきた。10年前からあるタナアバン再開発は一旦休眠したが、ジョコウィ州政で再び目を覚ました。
 先月初旬の露天商撤去。その直後、タナアバン再開発計画が姿を現した。アホック副知事は詳細を明らかにしなかったが、同地を「商業の中心地」と名付け、交通ターミナルを整備すると語る。
 タナアバンの地理的重要性は高い。官庁街の西に位置。国鉄駅があり、ジャカルタの西部と中心部を結ぶ交通の要衝。大通りのマス・マンシュール通りはスディルマン通りと交差し、著しく開発が進むメガクニンガンを貫くサトリオ通りに名前を変える。
 ターミナル案はスティヨソ知事2期目(02〜07年)のタナアバン再開発にその伏流がある。95年から今までタナアバンの地回りを率いるアブラハム・ルンガナ州議会副議長(愛称・ルルン)の「兄貴分」のムハンマド・ユスフ・ムヒ氏(愛称バン・ウチュ)は、03年にスティヨソ知事とターミナル建設で交渉を持ったと明かす。「タナアバンの渋滞は、他の駅周辺地域と比較して、ターミナルがないせいだ。ターミナルを造ってほしいとわれわれが要望し、一致した」という。
 「ターミナル建設のため、知事は立ち退きが必要だという。露天商はお金のない小市民。新たに店を出す準備がないので助成を求めた」。その結果、知事は04年に州営市場ブロックGを増築。露天商がその増築部分に移転したのだ。ジョコウィ知事はこの政策をなぞっている。

■再開発と火災
 タナアバンの再開発計画と火災のつながりは常に疑われ続けてきた。
 03年2月末のタナアバン市場大火。ブロックA付近で出火し、5日間にわたる大火災に見舞われた。衣料品店3千店が焼失した。03年2月22日付じゃかるた新聞は、火災の直後の要人訪問をこう報じた。「(メガワティ)大統領の夫タウフィック・キマス氏、リニ・スワンディ産業貿易相、ジャカルタ特別州のスティヨソ知事らが訪れ、かねてからジャカルタ州が計画していたタナアバン市場再開発計画の実現性を調べるため視察した」「新しく建設するビルの規模や市場のコンセプトなどについて意見を交換」。その後ブロックA・Bは合わせて2万テナント以上を有する巨大市場ビルに再建された。
 しかし、再開発は休眠する。ブロックGに移転した露天商が数カ月で再び路上に復帰した。商売の活性化を目的にA〜Gの州営市場を連絡橋で接続させる工事も止まったのだ。
 駅前の服飾店密集地帯ジャティバルにも新・再開発の計画が浮上した。細い道に商店がひしめき、西ジャワ製、中国製のイスラム服が飛ぶように売れる。ここに関係者が訪れ、土地買収に向けた水面下の交渉が始まったという。
 ジャティバルは西スマトラ出身のミナン人の商店がひしめく。オランダ植民地時代の18世紀から長い歴史を誇るタナアバン市場だが、実際はさまざまな地方出身者が身を寄せ合っている。西スマトラ州出身のイスラム服商店主アヤンさん(30)は「商店主らは皆反対している。ここは小さき民の市場だ」と話した。
 しかし、地回りを率いるバン・ウチュ氏は「完全に賛成」との立場。露天商撤去は同氏の団体にとって打撃になるはずだが、移転案が浮上したときも早々に賛成している。 
 「地権がない商店主が多いのは確か。移転する場所と補償があれば、それが『タナアバンの子どもたち』のためになる」と力説した。(吉田拓史、写真も、つづく)

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再開発計画が浮上するジャティバル10通り。道の両脇をイスラム服の商店、露天商が埋めている
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