【じゃらんじゃらん特集】 スハルト独裁政権プロパガンダの遺産 サトリア・マンダラ軍事博物館 デヴィ夫人旧邸の「ヤソオ宮殿」

 スカルノ初代大統領とラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ夫人が1960年代に暮らした豪邸「ヤソオ宮殿」。今でもジャカルタ中心部のスマンギ立体交差近くの広大な敷地に当時の建物が残されている。スハルト元大統領が接収して以来、反共・反イスラム過激派のプロパガンダを伝える軍事博物館となった。スハルト政権崩壊から約15年経過したが、現在も国軍の歴史を伝える施設として一般公開されている。
 ガトット・スブロト通りに面した広大な土地に砲台や軍艦などが並ぶ。通りからもよく見えるバリの伝統家屋風の長大な建物が、かつてヤソオ宮殿と呼ばれたスカルノ大統領とデヴィ夫人の邸宅。建物は当時のままだが、現在は独立戦争期から国内の反乱軍鎮圧まで、国軍の歴史を紹介する博物館となっている。
 中央の入り口から長い回廊沿いを歩くと、72年に博物館を設立したヌグロホ・ノトスサント国軍歴史センター長(後にインドネシア大学学長、教育相などを歴任)を中心とする白黒写真が飾られている。
 屋内には1945年のインドネシア独立宣言以降、勃発した対オランダ独立戦争のジオラマがずらり。山間部の幹線道路や鉄道の線路への急襲、村落の民家での戦略会議など、各地で展開されたさまざまな作戦を臨場感溢れる情景描写で再現している。
 圧巻は、スハルト政権が安定期を迎えた80年代後半に建てられた別館「ワスパダ・プルバウィセサ」。テーマはもはや独立戦争ではない。国軍の新たな敵となったのは、各地に勢力を拡大した共産党(PKI)やイスラム過激派。特に80年代、イスラム国家樹立を掲げる過激派が起こしたハイジャック事件、ボロブドゥール寺院爆破事件などを制圧し、国家5原則「パンチャシラ」の下に翼賛体制を敷いたスハルト氏の真骨頂がジオラマなどを通じて示されている。
 博物館裏側には都心にいるのを忘れさせてくれる庭が広がる。そこへ戦闘機9機とヘリコプターが並ぶ。独立戦争にも使われた中島飛行機社製造のプロペラ機、スハルト氏が現場司令官として指揮した西イリアン解放作戦当時の戦闘機、インドネシア国産第1号の軽飛行機など、貴重な機体が展示されている。

◇一等地のプレゼント

 ヤソオ宮殿(ウィスマ・ヤソオ)は、東京の自宅で自殺したデヴィ夫人の弟、根本八曾男(やそお)さんにちなんで名付けられた。
 2010年に出版された「デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨」(草思社)によると、63年2月6日、デヴィ夫人の23歳の誕生日に「大統領はジャカルタの一等地に5ヘクタールの土地をプレゼントしてくださった」。その翌年の64年に「私の好きなバリ風建築の館が建てられた」。当時、日本から来イしたばかりの大統領の「陰の女性」が、ここを拠点に公私ともに大統領夫人として振る舞えるようになったという。
 この場所を選んだ理由として、3人目の大統領夫人であるデヴィ夫人は妻同士の確執を挙げる。「(第2夫人の)ハルティニ夫人が(当時居住していた)ボゴールからジャカルタへやってくるときには必ず通らねばならない道筋だったからだ。そして大統領が、官邸(ムルデカ宮殿)からボゴールへ行くときも、車であれヘリであれ、ここを通らねばならない。私なりに、そのような勝気な計算をしたのだった」と振り返っている。(配島克彦、写真も)

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