留学生誘致に群島行脚 震災乗り越え日イつなぐ 大使館の本村書記官

 東日本大震災発生前の2010年9月から約2年半にわたり、日本とインドネシアの教育交流促進に尽力してきた在インドネシア日本大使館の本村宏明一等書記官が今月末に帰任する。日本でインドネシアの存在感が急上昇した時期に、将来の日イ友好の礎となる留学生の誘致に奔走、大学学長会議を実現させた。「全力で走り抜けた」インドネシア生活について話を聞いた。(小塩航大、写真も)

 来イして半年後の2011年3月11日。東日本大震災が発生した。5月には日イの大学の副学長が集まり、大学間の連携強化を協議する初の日イ副学長会議を控えていた。「この状況では開催できない。インドネシアからの留学生も減るかもしれない。これまでの準備が水の泡になるのか」と脳裏をよぎった。
 しかし、「今こそ日本のために何かしたい。恩返しをしたい」と募金や留学生支援活動に奔走する元日本留学生協会(プルサダ)やインドネシア日本同好会(KAJI)の姿に胸を打たれた。
 「プレイ・フォー・ジャパン」など多くの支援活動を元留学生が主導して行った。「日イ両国にとって留学生は貴重な財産だと再認識した。だからこそ、インドネシアから日本へ多くの留学生を派遣したいと改めて強く思うようになった」
 震災後のマイナス・イメージを払拭するのが先決。日イ副学長会議は予定通り5月にインドネシアで決行した。日本の安全性をアピールし、留学生の受け入れ体制が整っていることをアピールした。
 日本の出席者は震災後にもかかわらず、インドネシアが日本へ高い関心を抱いていることに驚いたという。「日本の大学関係者はインドネシアへの関心はあまり高くなかった。両国の大学が連携するきっかけになったと思う」
 12年11月には名古屋で両国の大学計61校の学長が参加して初の日イ学長会議が開かれ、ムハンマド・ヌー教育文化相に同行した。
■学生たちと対話
 震災は大きな転機となった。日本へ留学生を呼び込もうとインドネシア国内を行脚した。西スマトラ州パダンや北スラウェシ州マナド、中部カリマンタン州パランカラヤなど各地に足を運び、日本の安全性や留学に必要な情報を提供。現場を見て回り、実際に学生と対話して現状を把握した。
 週末のほとんどは学校やフェアに出かけ、学生に日本留学に関して説明を行った。「家族には迷惑を掛けた。全力で走り抜けた2年半。やれることはやったという思いはある」
 震災後の11年5月、日本の留学生数は14万1774人から約4千人減少したが、インドネシア人留学生数は前年比28人減に留まった。また、インドネシアから日本への留学生者志願者数は増加傾向にある。12年5月時点のインドネシア留学生数は前年比114人増の2276人。タイを抜いて国別ランキングでは7位となった。
 「日本の中でインドネシア人留学生は重要視され始めている。まだまだ課題は多いが、政官民が一体となって留学生獲得に向けて協力していくオールジャパン体制を構築することが鍵となる」と力を込める。
 帰国後は文部科学省に戻り国際交流を担当する。今後もインドネシアには注目し、何かの形で両国を結びつける仕事に関わりたいという。

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