【貿易風】東南アジアを見せること

 六本木で開催されていた「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」(国立新美術館、森美術館)と、東京国際映画祭(11月3日まで)の東南アジアの若手監督特集に参加してきた。
 東南アジアの現代美術と映画をまとめて鑑賞できるすばらしい機会だった。他方で、これらの芸術作品が生まれた地域独自の「文脈」を伝えることの重要性を痛感した。
 国立新美術館の展示で惹(ひ)きつけられたのは、各国の独立や国民形成、民主化の過程で起こった暴力の記憶と向き合う作品群である。
 歴史的な背景を踏まえた作品の解釈については、それぞれ丁寧な説明が付されていた。しかし、どれだけの人が長文の説明を読んで咀嚼(そしゃく)できただろうか。
 何より問題だったのは、作家の意図や各作品の連関が十分に示されていなかったことだ。
 例えば、インドネシアの華人差別や民主化に関わる作品はいくつもあったが、バラバラに配置されていた。残念ながら、個別の国の歴史や主題を深める機会に欠けていた。
 それぞれの国になじみのない人々には、各国の芸術作品が織りなす独自の美しさを見出すのは困難であっただろう。逆に、その歴史的背景や表現の差異を注意深く観察しないとどこも同じに見えてしまう。
 東南アジアを、「複雑な民族間の関係」と「活気あふれる混沌」に単純化してしまっていないだろうか。ジャカルタとマニラでは都市の空気や、都市を形成してきた歴史や文化、宗教観も全く違う。
 東京国際映画祭で上映された諸作品からは、そうした地域の独自性がよく伝わってきた。
 映画監督によるトークセッションは、一般のオーディエンスとの対話に多くの時間が割かれていた。作品の背景となる社会に一歩近づける試みとしてはよかった。ただ、監督自身の各国文化や歴史への理解にまでもう少し踏み込む機会がほしかった。
 他方で、配布された小冊子にあったインドネシアの2人の監督の対談には、短いながらも、作品とジャワの影絵劇の関係が自身の言葉で語られていた。こういう話が聞きたかったのだ。
 無論こうした「東南アジアを見せること」に伴う問題にはわれわれ研究者、それに本紙のようなメディアが連座していることを肝に銘じておきたい。(見市建=早稲田大学大学院アジア太平洋研究科准教授)

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