「JALの第2ステージ」 日本航空ジャカルタ支店長 滝智治さん (2017年10月04日)

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 日本航空(JAL)のジャカルタ支店長として6月に赴任した滝智治さん(54)。商社マンの父の海外赴任に同行しドイツやオーストラリアで生活、入社後もロシアでの勤務経験を持つ。東南アジアへの赴任は初めてだが、インドネシアの明るく人懐っこい笑顔の中で、渋滞をのぞけば快適と語る。ことし8月までのインドネシアからの訪日旅行者は22万人を超えた。訪日旅行者の増加が予想されるインドネシア赴任にあたり、今後の抱負などを聞いた。

■選んでもらうために
 JALは、既存の便がいっぱいとなり14年に増便を決めた。当初はジャカルタ着が遅いため邦人に人気がなく苦戦した。そこで、増加傾向にあったインドネシア人をターゲットに価格帯を設定、訪日旅行ブームも追い風になり2年目に火がついた。各地のトラベルフェアでJALのチケットは人気となり、ことし5月のインドネシアでの販売は、日本人以外の比率が82.5%に達している。
 「現在の価格帯はLCC(格安航空会社)の入る余地がないといわれるほどの底値」。現状を説明する滝さんは懸念も見せる。今までは「まず乗ってもらう」というプロモーションだったが、今後は「JALを選んで乗ってもらう」という第2のステージに移行しなければならない。JALと他社の違いはプレミア感。フルフラットのビジネスクラス設定や機内Wi―Fi、エコノミークラスのゆったりとした前の座席とのピッチ(間隔)などがある。今後は、「商品の付加価値による差別化を明確に出していきたい」と話す。

■避難便を覚悟
 滝さんの初めての海外駐在は、ロシア(当時のソビエト連邦)。1991年12月12日に赴任しその2週間後の25日にソ連は崩壊する。「着任時に見たクレムリンの赤いソ連の旗が、ロシアの三色旗に変わったのは今でも鮮明に覚えている」と滝さん。その後のエリツィン大統領と議会保守派の対立の混乱の中、邦人避難の飛行機を飛ばすことがモスクワ支店内で検討された。空港が閉鎖されるギリギリまで避難便を飛ばす計画で、滝さんらはそのために残ることを決意する。幸い避難便を出すことはなかった。しかし、「ナショナル・フラッグキャリアの重みを強く認識した瞬間だった」と滝さんは語る。

■破たんを経験して
 「2010年に破たんして、JALは多くの方々に助けられ、支えられて、復活することができた」と滝さん。ジャカルタ支店にも、励ましの色紙が大切に保管されている。「破たん前には、やはり足りないものがあった。破たんを経験した今のJALスタッフは、その厳しい経験と励ましを忘れることはない。インドネシアの地で支えていただいた方々に感謝し、より良いサービスを提供するように努力する。その先頭に立つのが私の役目。愛され、選ばれるJALを目指したい」と締めくくった。(太田勉、写真も)

◇ たき・もとはる 86年、青山学院大学法学部卒業、日本航空入社。成田空港支店旅客第一グループ配属。91〜94年、モスクワ支店総務セクション赴任。94年帰国後、名古屋支店旅客販売部国内旅客販売グループ、03年大阪支店国内販売部販売グループ長に就任。その後、福岡支店総務部部長、本店国内販売部部長を経て17年6月より現職。63年東京都生まれ。54歳。

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