【スラマットジャラン】常に真剣勝負の3年間 JJS校長の齋藤稔さん
ジャカルタ日本人学校(JJS)校長の齋藤稔さん(58)が3月で帰国する。帰任を前に「子どもたちにたくさんのことを教えられた」、「世界で89校ある日本人学校の中で、JJSに来れて本当に良かったと思う」と常に真剣勝負だった3年間の任期を回想した。
横浜生まれ、横浜育ちの齋藤さんは大学卒業後、体育教師として横浜市内の中学校に勤務した。「バレーボールの部活を担当したくて、教員になった」と振り返る。その後、管理職となり市内の小学校で副校長、校長を歴任。2014年4月にJJS校長に就任した。
「小学校、中学校両方の教育現場を経験したことをJJSで生かすことができた」と振り返る。
教育面では生徒の理解を深めるため、算数や英語などの授業で教室を二つに分け、理解度別に指導する取り組みを進めた。「一人一人をよりじっくりと、先生が見れるように試行錯誤を続けた。現場の先生たちも頑張った」と語る。
学校行事で印象に残っているのは初めての体育祭。「応援合戦を見て、日本では現在あまり着ない団着を着て、中学3年が小学1年の子どもたちと一緒に練習しながら、なんとか伝えようと一生懸命教えていた。懐かしさやうれしさが込み上げてきましたね」と笑う。
16年9月から部活動に参加する児童・生徒向けの帰宅用バスも用意した。「少ない時間の中で部活動と勉強を両立して子どもたちは一生懸命やってくれた」
在任時は児童・生徒数が1200人以上まで増えた時期で、組織作りにも尽力した。「若い先生が1人で悩むのではなく、皆で意見を出し合い解決する方法を考えた。先生にとっては力量を発揮し、伸ばすことができる学校です」と教員たちにとっても恵まれた環境と説明する。
さらに在校生が企業で働く大人たちと関わる機会を増やし、地元の学校を訪れて交流する機会も新たに作った。それでもこの3年間を「子どもたちはたくさんのことを教えてくれた。感謝の思いばかりがある。一方でやり残したことはいっぱいある」と振り返る。
今後のJJSについては「その時点で置かれた状況に応じて頑張ってきた。自分が作った方針を守るのではなく、今後在籍する先生たちが環境に応じてやれることをやれば良い」。
インドネシア大学(UI)で日本人学校の現状について講演したり、地元の学校の教員たちとも積極的に関わった。「この国は教員のステータスはあまり高くない。熱意のある先生もたくさんいるので、(国全体で)教育の大事さをもっと感じるようになるともっと良くなっていく」と今後に期待する。
日本帰国後の赴任先は未定だが、「また校長として働きたい。部活動にも参加したいかな」、「退職後、機会があればもう一度、海外の日本人学校で働いてみたい」と教育への情熱を語った。(平野慧、写真も)