ウスマン先生さようなら J―クリニック 日本女性の健康守り7年

 日イ両国の医師免許を持つ産婦人科医として、約7年にわたり日本人女性の健康を守り支えてきた南ジャカルタのポンドックインダ病院内J―クリニックのサルミヤ・ウスマン医師(76)が日本に帰国する。異国の地で暮らす患者に「自分で自分の体を管理するということを常に忘れないで」と言葉を送る。 

 ウスマン医師は西スマトラ州パダン生まれ。父はインドネシアの独立に携わった故アブドゥル・マジッド・ウスマン氏。1954年8月、ウスマン医師は14歳の夏休み、インドネシアを立派な国家にしたいと願う父に「医者になってインドネシアに戻ってこい」と言われた。翌55年5月にアブドゥル氏が急死した。父の死後は東京を拠点に生活し、東京女子医科大卒業後、医師免許を取った。その10年後、「父との約束」通り、インドネシアに戻り医師免許を取得した。
 75年から日本赤十字社医療センターの産婦人科医を務め、定年退職後、2003年東京都港区にウスマンクリニックを開業。09年に来イして以降、J―クリニックで産婦人科医を務めている。
 「人間の体をつくるのは朝ごはん。おろそかな食生活が将来の疾病の誘因になるんです」。診療では患者の生活習慣を聞き取り、食生活の指導から始める。「最近は朝食にパン1枚と言う人もいる」と厳しい表情をのぞかせた。健康管理が大切なのは、熱帯特有の感染症があるインドネシアではなおさらのこと。「受診された患者さんは全てトータルで診る。私は医者も看護師も栄養士も、全部やるのよ」と笑う。
 厳しい半面、異国の地で心細く暮らす患者を親身に思い、自宅に招いて食事を共にしたり、病院に来られない患者の家に薬を届けに行ったこともあった。
 産科の患者は多くが日本へ「里帰り出産」するため、「赤ちゃんにとってもお母さんにとっても最も大事な時期」という妊娠初期〜30週くらいまでの患者が多い。出産には立ち会わないが、「無事に生まれたという報告があるとうれしいですよ」。
 初診の際、患者一人一人にファイルを渡す。検査結果や所見はカルテに記録するだけでなく、患者にもその都度ファイリングしてもらい、患者自身が管理していくルール。継続的に自分の体と向き合ってほしいと続けてきたやり方だ。
 J―クリニックでのウスマン医師の診療は今月16日まで。101歳になる母、長田周子さんと共に帰国し、しばらくは東京で暮らす。「責任を持って働ける限り、産婦人科医を続けたい。それが人の役に立つならね」と、今後も現役として働くつもりだ。(木村綾、写真も)

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