日本「虐殺を黙認」 早大・LIPIシンポ 9月30日事件から50年

 1965年に発生した共産党系将校のクーデター未遂「9月30日事件」と事件後の大虐殺からことしで50年を迎える。日本の研究者は事件とアジア諸国との関係性などを分析した最新の研究成果をインドネシアで発表し、歴史の闇に埋もれた事件を新たな視点から解き明かすことの重要性を訴えた。

 早稲田大学アジア太平洋センターの「9月30日事件研究会」は18〜19日、南ジャカルタの国立インドネシア科学院(LIPI)でシンポジウムを開催した。「インドネシアの世界との関係 事件から50年経った日本の研究」と題し、来イした日本の研究者8人が研究成果を発表した。
 慶応大の倉沢愛子名誉教授は、事件に対する当時の日本政府の政策や反応を外交文書などを用いて分析した。日本政府は米国に追随するように虐殺を黙認したと指摘。日本のメディアも事件をほとんど取り上げておらず、黙認することで日本企業のインドネシアへの経済進出への足がかりをつくったと話した。
 早大アジア太平洋研究科の早瀬晋三教授は、フィリピンの日刊紙マニラ・タイムズなどの資料を用いて、フィリピン政府の反応と東南アジア地域への影響を調査した。東南アジア諸国連合(ASEAN)設立を目指した当時、事件には地域共通の意思が見て取れると指摘。ASEANからの新たな視点での研究が必要だとした。
 東京理科大の松村智雄非常勤講師は、事件がボルネオ島のマレーシア・サラワクとインドネシア・西カリマンタンの両地域に与えた影響を分析。サラワク地域の共産ゲリラを支援したスカルノ政権から一転し、スハルト政権はマレーシア政府と協力してゲリラ壊滅に乗り出し、両地域の独立機運はかき消されたと指摘し、それが現在の同地域にも影響を及ぼしているとの見方を示した。
 事件の影響で約50年間北朝鮮から帰国できなかったガトット・ウィロティクト氏も登壇した。ガトット氏は共産主義運動の大会に参加するため、60年にチェコスロバキア経由で北朝鮮・平壌を訪問。9月30日事件後は66〜98年までインドネシア国籍を取り消された。この間、訪朝したインドネシア要人の通訳などを務めた体験談を語り、「事件は多くの人間の運命を変えた」と話した。
 事件から50年が経ち、新たに公開された公文書を使用するなど、研究は新しい局面に入っている。LIPIのヘルマワン・スリストヨ研究員は「新しい有益な視点が共有された。国内の若い世代の研究者にもよい示唆になったはずだ」と感想を述べた。(藤本迅、写真も)

◇ 9月30日事件 スカルノ政権時の1965年9月30日深夜から未明にかけ、大統領親衛隊のウントゥン中佐らがヤニ陸軍参謀長兼陸相ら6人の高級将校を殺害したクーデター未遂事件。スハルト陸軍戦略予備司令官により1日で鎮圧された。陸軍は共産党(PKI)がクーデターを主導したとし、PKI支持者とみなした50万〜数百万人の虐殺を指揮したとされる。事件後、スカルノ氏が失脚しスハルト氏が大統領に就任。米国の支援を受けたスハルト氏によるカウンター・クーデターとの見方がある。インドネシアは「容共」から「反共」国家へかじを切り、東西冷戦下のアジア政治地図が塗り替えられた。

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