特集(上) 日系大手2社 伝統市場で草の根営業 ワルン攻略 流通の鍵

 商業省の7月市場調査によると、スーパーマーケットやショッピングモールなど大型商業施設がある「近代的市場」の総売上高はここ5年で年15〜19%増えている。中間富裕層の拡大が背景にあるが、それでもワルン(露店やキオスク)など、低所得者層向けに従来からある「伝統市場」の存在は依然大きい。ワルンは全国に230万店舗あるといわれる。日系食品メーカーは営業部の所轄を「近代的」と「伝統」市場に明確に分け、戦略を打ち立てている。国内の流通は1次卸、2次卸、さらにワルンといった多段階の側面が絡んで展開。大手企業によっては自社社員を全国の支店に配置し直接販売したり、信頼関係を築いてきたディストリビューター(配給業者)に委託したりするなど、戦略はさまざまだ。食品、殺虫剤、化粧品メーカーなど同行取材した日系4社の取り組みを、上下2回に分けて伝える。

【毎週訪問、店主と親密に インドネシア味の素】

 味の素は1969年、現地法人インドネシア味の素を設立。調味料の製造・販売を開始した。味の素は売上高全体の4割を海外が占め、そのなかでもアジアのシェアが7割超に上る。アジアのなかでも特に売上が大きいインドネシアでは、主に伝統市場での売上が貢献。インドネシア味の素グループの売上高は約4兆ルピアを記録している。従業員は約3100人。営業は約1700人で自社社員が全国に約200カ所に散らばっている大小営業所を中心に販売している。

■シェア6割超
 海沿いに近い北ジャカルタ・カリバルで約2キロメートルにわたり連なる伝統市場。魚や野菜、果物など生鮮食品を扱うワルンのほか、調味料などを販売する店舗が所狭しと並ぶ。社員が2〜3人でチームを組み、1軒ずつ回る。大半の店頭では味の素の風味調味料「Masako」や「AJI―NO―MOTO」が並べられている。「Masako」の売上高は年15%の成長を続け、風味調味料市場シェアは60%を超える。
 週に1回、訪問し在庫を確認。商品は既にワルンに陳列されているため、在庫の有無を確認し補充していく作業が大半だ。「在庫切れは買いに来たお客様に迷惑をかける」と、週にどれくらい売れるかを1軒ずつ確認。店主が社員を名前で呼ぶなど、店主と社員の関係は深い。

■会社とともに
 新規開拓にも余念がない。豆腐を売るワルンを見つけては、ワルジョノさん(42)は声をかける。唐揚げなど作るときの調味料「Sajiku」の営業だ。
 ワルジョノさんは95年に入社。南スマトラ州で勤務後、競合ひしめくジャカルタ支店に抜てきされた。その後、営業部のアシスタントセールスマン、チーフセールスマンを経てスーパーバイザーへ昇格。「ただ売って来いと言われるのではなく、商品の陳列やお客さんとの対応の仕方など、細かい点まで上司から指導される」。味の素の成長とともに自らも成長を実感しているという。

■CM口ずさみ
 伝統市場を駆け回る子どもがワルジョノさんを見つけると、「あじのもと〜」と、放送中のCMを口ずさみ始めた。インドネシアではもう説明いらずのようだ。約3時間かけて全体の半分のワルンで在庫を補充。帰り際には棚に補充したばかりの調味料「Sajiku」が売れてなくなっていた。

【配給業者と理念を共有 フマキラー】

 殺虫剤など日用品メーカーのフマキラーは全体の売上高に対する海外売上高が4割と高い。なかでもインドネシアは首位を誇る。フマキラーはワルンに直接販売する「キャンバスバン」部隊で営業し、販路を拡大してきた。各地域ごとに根付く配給業者69社と提携しているのも特徴の一つだ。

■通貨危機を契機に
 90年に現地法人を設立。当時は輸出比率が高かった。97年まで赤字経営が続いた。転機は同年に起き、ルピアが急落したアジア通貨危機だった。インドネシアで生産した製品をドル建て輸出していたため、為替差益で累積赤字を一気に解消。さらに、地元競合社が財閥グループとの合弁を解消し、事業を縮小したため、商機ととらえ本格的に営業を開始した。
 ジャワ島内では地元メーカーのシェアが圧倒的だったたため、他地域から販路拡大。2003年時点でジャワ島外のシェアはゼロだったが、今ではシェア45%まで引き上げている。普及に成功した要因は商品力だけでなく、流通方法にもあった。

■部隊は「伝道師」
 当時、フマキラーは蚊取り線香としての知名度はなかった。
 ワルンの店主は「グロシール」と呼ばれる中間卸売業者へ商品の買い出しに行く。店主は卸売業者で売れ筋製品を買い、店頭に並べる。そのため、店主は新規参入した製品を買わず、卸売業者も店主に新製品を薦めることはない。企業は卸売業者に販売するだけでは自社製品が止まってしまい、ワルンの店頭に並ぶことはない。
 山下修作社長は中間流通業者から攻めるのではなく、ワルンなど現地の小売店から営業をかける「キャンバスバン」部隊を編成。町(クチャマタン)ごとに地区を区切り、自動車でワルンを1軒ずつ回る。3カ月間同じ地区を継続して回ることで町内に約千軒ある全てのワルンに足を運ぶ。町から別の町へと地道に販路を拡大した。
 キャンバスバン部隊での営業はコストが増えたものの、効果は絶大だったという。部隊への投資は約2年で回収。山下社長はキャンバスバン部隊をフマキラーの「伝道師」と話した。
 キャンバスバン部隊を自社社員ではなく、配給業者に委託している。地元市場を知り尽くした配給業者69社と付き合い、フマキラーの理念を共有。ともに同社製品の流通に力を注いだ。
 山下社長が就任する前は、地域ごとに根付いた配給業者との取引はなかった。「弊社の製品特性から地域ごとの配給業者と付き合う」ことを決めた。多くの配給業者と取引することで費用はかさむも、売上は伸びたという。
 東カリマンタン州サマリンダ市では、06年に配給業者を代えた。理念を共有できる新しい配給業者と提携したところ、売上増につながりシェアが40%に拡大した。(佐藤拓也、写真も)
(次回は8日掲載)

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