託された戦後70年の総括 最後の元残留日本兵 逝去

■追悼  小野盛さんが残したもの 写真家・作家 長  洋弘
 来年は戦後70年、何かイベントを組まなくてはと計画しているところに小野盛さんの訃報が届いた。
 私が残留元日本兵の存在を知り取材し始めたのが1984年。それから10年間、ジャワ、スマトラなどを取材のため回った。当時はアクセスが悪く残留元日本兵の方々を巡るのが困難な時代でもあった。小野さんには2度も3度もふられ、ようやくお会いできたのが、1995年ジャカルタの日本大使公邸である。その年はインドネシア独立50周年で各種のイベントが組まれ、私は当時の渡辺泰造大使の肝いりで「帰らなかった日本兵写真展」をジャカルタで開催し、同時に渡辺大使は、日イ友好に寄与したことに対し、残留元日本兵69人を表彰した。
 今思えば、脱走兵と陰口をたたかれていた彼らに対して大使個人が表彰したことは快挙であった。なぜならそれが彼らの名誉の回復につながり、心の傷を癒したからである。
 小野さんは私の写真展には不満だった。理由は簡単、小野さん自身の写真がなかったからである。その後、小野さんに誘われ何度も自宅を訪ねた。渡辺大使が贈った賞状は自宅の壁に額装され大切に飾られていた。
 小野さんは私が訪ねる度に「あなたが我々のことを一番よく知っているのだから、最後まで付き合いなさい」といい、ジャカルタの元日本兵・宮原永治さんが亡くなると「最後の日本兵になったな、最後まで付き合えよ」と言った。小野さんの訃報が届くと、私は彼の言葉の意味を真剣に考えた。それは戦後70年に向けて残留元日本兵の総括をせよ、といっているように思えた。
 スラバヤから車に乗り4時間、小野さんの住んでいたバトゥは日本からはあまりにも遠い。3時間も彼と話をしているとこちらも疲れ、おいとまするのだが、その度に彼は私に「この本は読んだか」といって本を貸してくれる。そして2週間もすると電話があり本返却の催促をする。つまり自宅に遊びに来てほしいというのだ。
 その小野さんが亡くなった。戦後70年、取材30年、小野さんの死は何かをしろと私の背中を押しているような気がする。

■ 日イの土台を築いた スラバヤ総領事 野村昇
 元残留日本兵の小野さんの死を受け、東ジャワの在スラバヤ総領事館の野村昇総領事は「第2次世界大戦時からの日イ関係を知る重要な人物が亡くなった。本当の意味で戦後が終わった」と話した。
 インドネシアに進軍した日本軍は敗戦を契機に混乱に陥った。残留者の中にはオランダとの独立戦争に身を投じ、独立に貢献した者も。「残留日本兵の人々が日イの土台を築いた功績は大きい」と指摘する。
 小野さんは歴史の伝承に力を注いできた。野村総領事は今後は故人の遺志を受け、「在留邦人が両国の発展に向け行動する必要がある」と力を込める。

■二世励ましてくれた 福祉友の会 石井ヤント
 元残留日本兵の石井正治さん(2002年死去)を父に持つ石井ヤントさん。25日、父の戦友だった小野さんの訃報を知って真っ先にバトゥ市内の小野さん宅に向かった。
 まず脳裏に浮かんだのは、父の葬式に参列した小野さんが、ヤントさんを励ましてくれたこと。「あの時の小野さんの優しさは忘れられない」と故人を悼んだ。
 互扶助組織「福祉友の会」の活動では、東ジャワ州に住む元残留日本兵の二世の子どもたちに気を掛けてくれていた。「ただ『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えたい」とヤントさんは声を震わせた。

■「己に厳しく凛々しい方」 女優のかたせ梨乃さん
 女優のかたせ梨乃さんは、テレビ朝日の番組「世界の村で発見! こんなところに日本人」(1月24日放映)のロケで昨年11月末に2日間、バトゥの小野さん宅を訪ねた。じゃかるた新聞の電話取材に対して「凛々(りり)しく、自分自身に厳しい方。ダンディでロマンチストでもあった」と小野さんをしのんだ。
 かたせさんはロケ中、小野さんが元残留日本兵としてインドネシアに残った理由やその後の家族との生活などについて聞いた。「お目にかからせて頂いた時間は、私の財産です」
 ロケ最終日には「よく寝て、食べて、笑ってください」とのメッセージを添えて、小野さんにそば殻の枕を贈っている。
 かたせさんは「やっとゆっくりできますね。安らかにお眠りくださいませ。本当にありがとうございました」。そう感謝の気持ちを語った。

■「独立の勇者汚職に失望」 地元2紙が訃報
 小野さんの訃報を東ジャワ州マランの地元2紙が写真付きで段立て見出しで報じた。地域に打ち解けて生きてきた元残留日本兵に対する関心の高さを反映した。
 スルヤ紙は26日付で、「独立後、多くの汚職を目にし失望」との見出しで、小野さんが亡くなった25日に執り行われた国軍による葬儀の写真を付けて報じた。
 ジャワ・ポス紙も同じく葬儀の様子を伝える写真とともに「独立戦争参戦の元日本兵―多くの汚職のために帰国を望んだことも」との見出しで、独立を勝ち取ったインドネシアの社会が向上していくことを、小野さんがいかに強く希望していたかを伝えた。両紙とも該当面の準トップ級で報じた。
 有力紙スアラ・プンバルアンの電子版は26日付で、元残留日本兵として対オランダ独立戦争に参加した小野さんの功績を紹介。
 国から8回表彰を受け、特にスカルノ初代大統領からは2回勲章を受けたと報じた。


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