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2005年6月29日 じゃかるた新聞掲載

地震・津波から半年(下)

自ら復興目指す被災者 「役人に期待できない」

 被災者は自らの手で復興へ向けて取り組み始めた。多数の家族や友人を失った心の傷は癒えないが、津波がもたらした運命的な再会で、新たな人生の第一歩を踏み出した人もいる。
 「津波が私たち二人を引き合わせた」 
 バンダアチェ郊外ダルル・イマラ郡の国営放送局で六月上旬、二十三組のカップルが参加して合同結婚式が開かれた。最年少カップルは、ファフリザルさん(二五)とマウリダさん(一八)。 
 遠縁の親せきに当たる二人は約一年前にアチェ・ブサール県の実家で知り合ったが、ファフリザルさんはパレンバンの銀行に就職して疎遠になっていた。
 ところが、津波の発生から一週間後、家族の遺体を捜しに来た陸軍兵舎で偶然に再会。「両親や兄弟が死んでしまい、一人ぼっちだと思っていた。再会できたのは神のおかげ」とマウリダさん。
 国営放送局内の避難所で共同生活を始めた二人はすぐに結婚を約束。「苦しみも悲しみも分かち合い、助け合って生きていこう」(ファフリザルさん)と誓い合った。
国営放送局敷地内で開かれた被災者の合同結婚式(アチェ・ブサール県)
国営放送局敷地内で開かれた被災者の合同結婚式(アチェ・ブサール県)
 「大学を出て医者になりたかったけど、皆は早く子供を産めと言うの。できるだけたくさん産んで、にぎやかな家族にしろって。最近は、それもいいかなって思ってるわ」。あどけない表情の新妻は、はにかんだ。

■鎮座する船を記念碑に

 がれきになったバンダアチェ市の住宅地の真ん中に、津波で約二キロ先の沿岸から打ち上げられた二千五百トンの巨大な発電船(全長約六十メートル、幅約二十メートル)は今も取り残されたままだ。
 訪れた外国人の援助団体関係者らが、いかに津波が凄まじかったかを実感させられている。分解して撤去する案もあるが、悲劇を繰り返さないよう後世に語り継ぐためにも、住民の間では「災害の記念碑にすべき」という意見が出ている。
 見物人相手に露店を開いたムクリスさん(二四)は「船はここに残しておいた方がいい。人の記憶は時間とともに薄れるものだが、何十年経ってもこの船を見ることで悲劇を思い出すことができる」と話した。

■村民が再建地図を作成

 バンダアチェ市ムラクサ郡デアバロ村では、村民たちが自らの手で村の再建地図を作成した。「政府の測量を待っていたら、家を建てることもできない。早く村の再建に取り組みたかった」と村長のジュアイニ・ブディマンさん(五六)。
 沿岸から二百メートルの村には千五百人が住んでいたが、生存者はわずか二百四十七人。
 村人の記憶を頼りに土地所有の区分を確認し、コンパスを使って測量。新しい礼拝所、集会所、避難道の位置も決めた。
 「これが再建する村の青写真だ。皆で話し合い、この地図に沿って村を再建することになった」(ジュアイニさん)
 いま、NGOと協力して二十棟の住宅を建設中だ。
 アチェ・ニアス復興再建庁のクントロ長官は「これこそ私が見たかった住民の取り組みだ。復興プロセスを早める」と称賛している。
 津波の直撃を受けた被災地は、いまだに生々しい爪跡が残り、目に見える復興は遅れている。だが、その裏で住民たちは生活基盤の再建に向けて懸命に取り組んでいる。



(おわり)


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