アチェ州州都バンダアチェ市の西に位置するアチェ・ブサール県ロンガ郡ランプウ地区。災害前は、捕りたての魚を味わうことができる屋台が並ぶなど、週末となれば州内の行楽客でにぎわっていた。
しかし、十二月二十六日の津波で状況は一変。木々はなぎ倒され、舗装道路も寸断、残されたランプウ・モスクが、ここに人が住んでいたことを示す唯一の証しとなった。
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華やかなイベントに多くの買い物客の目が引きつけられた
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住民約七千人のうち、生き残ったとされるのは千人ほど。二キロ先に見える丘陵部まで流されたが、冷蔵庫やベッド、木などにしがみついて助かった人々は、一月中旬ごろから少しずつ村に戻り始めた。
モスクの周辺に五十を超えるテントが設営された。カナダやトルコなど、十を超える支援国や企業、政党などの旗や横断幕がたなびく「援助機関の銀座通り」となった。
マレーシアの支援団体から直接受け取ったという義援金を使い、モスクはすでに修復作業が始まった。モスクの中には、コメやインスタントラーメン、水などの支援物資が無造作に積み上げられている。キャンプの脇には、数百着の古着が野ざらしになったまま。バンダアチェ市街の仮設住宅では、配給が途絶え、食糧が残りわずかという被災者がいたのとは対照的だ。
支援物資の管理を担当するマクダンさん(三三)は「受け取った物は、記帳した上で世帯ごとに配分する。世帯ごとで足りない場合は、数世帯を束ねたグループごとに渡す」と話す。
避難所では、国連児童基金(ユニセフ)のインドネシア人ボランティアが、十七人の孤児に、パックのジュースとパンを詰め込んだ食事を届けるところだった。
ふさぎ込んだ表情を崩さない少年やニコリと笑顔を見せる女の子。家族を失った悲しみが心に刻んだ傷は一様に深いが、被災時の様子を一生懸命話そうと近付いてくる子もいれば、テントからも出たがらない子もいる。
それでも一様に「ありがとう」と受け取っていく姿に、災害後からそれぞれがたどってきた境遇とそれでも前向きに生きていこうとする姿を思い、胸が熱くなった。