昨年十二月二十六日のスマトラ沖大地震・津波から間もなく半年。ニアス島では三月二十八日、再び大地震に襲われ、その後も大型の余震が続くなどスマトラ島の人々は、相次ぐ災害に不安を抱いている。しかし、津波で壊滅的な被害を受けたバンダ・アチェでは、破壊された建物や座礁した船の残骸などを残したまま、市場や商店街が復活し、アチェ人らしい快活な生活を取り戻そうとする動きが本格化している。最近、現地を訪れた二人の記者が、写真とともに報告する。
「持病の心臓発作で倒れた父をモスクまで運んだ後、津波に襲われました」─壊滅的な被害を受けたアチェ州州都バンダアチェ市メラクサ郡ウレレ村に住んでいたイルサンさん(二四)は語る。
地震が起こった時、イルサンさんは自宅近くの船着き場でピックアップ・トラックに魚を積み込んでいるところだった。
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「ここにしがみついて助かりました」と説明するイルサンさん
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海岸から百メートルも離れていないバイトゥラヒム・モスクに父親を担ぎ込んだ後、津波に見舞われたが、モスクの裏側の二階にある屋根を支える柱にしがみついて助かった。
村ではこれまでも、潮の満ち引きによる浸水に悩まされてきており、海岸と居住地の間には二メートル程度の堤防があったが、ごく一部を残し津波で崩壊した。
津波を経て、今ではなくなってしまった砂浜とモスクの間に十五人の大家族で住んでいた自宅は跡形もなく流された。
家族のうち、生き残ったのは、イルサンさんのほか一・五キロ先まで流された母親と自宅近くの家の屋根に引っかかって助かった妹の三人。父親、兄姉ら肉親を含め親族十二人が、行方不明になった。
当初は内陸部に設けられた避難所での生活を送っていたが、一カ月ほど前に自宅のあるウレレ村に戻ってきた。
現在は、唯一残った自宅の床の上に非政府組織(NGO)から供与されたテントを張って三人で生活する。
自分で改造して荷台を付けた自慢のオートバイは見つからないまま。
家族が所有していたトラックも二百メートル先の病院で見つかったが、その数日後に誰かに持ち去られたという。
しかし、五カ月が過ぎたからか、母と妹が生き残ったからか、表情は明るい。
「これだけの災害に見舞われた上に、車も盗まれてしまうなんて、もうこれ以上ない災難ですよね」と笑う。
まずは、堤防を再建してほしいとささやかな願いを打ち明けるイルサンさんに「これからどうしていくの」と水を向けてみた。
病弱の父の代わりに魚の仲買人として一家を支えてきたイルサンさん。今では、運行を再開したミニバスの車掌をして、わずかな現金収入を得ているという。
「もう一度、ゼロからやり直します」。力強いその言葉から、オランダの植民地支配に抵抗してきたアチェ人の気質が見えたような気がした。