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2004年12月31日 じゃかるた新聞掲載

■写真グラフ「2004年の主な出来事」
「還暦」迎えるイスラム大国
 「悲しみのインドネシア」の陰に潜む危機
 地震、津波で終わった政治の年

 政治の年・二〇〇四年を彩ったドラマは、国会議員と地方代表議会議員の選挙、大統領選挙、大統領選の決選投票、豪州大使館爆弾テロと続き、スマトラ島沖の地震・津波の大惨事で終わった。四半世紀、内戦状態だったアチェ州の破壊された街や村から、食糧や薬を求めるアチェ人の悲痛な声が首都に届いている。「悲しみのインドネシア」(民放メトロTVのアチェ救援標語)の暗い映像が、群島列島に流れる中、インドネシアは国家誕生から数えて六十歳(還暦)の新年を迎える。(じゃかるた新聞編集長・草野靖夫)

第6代大統領に就任したユドヨノ氏と副大統領のユスフ・カラ氏(10月20日)
第6代大統領に就任したユドヨノ氏と副大統領のユスフ・カラ氏(10月20日)
スマトラ沖地震で壊滅的な被害を受けたアチェ州(12月26日)
スマトラ沖地震で壊滅的な被害を受けたアチェ州(12月26日)
バリで初の運動会(2月29日)
バリで初の運動会(2月29日)
選挙キャンペーンスタート(3月11日)
選挙キャンペーンスタート(3月11日)
 一年前の今ごろ、メガワティ政治に失望した国民の間に「スハルト時代郷愁症候群」がまん延していた。旧スハルト政権を支持した守旧派が、人気凋落のメガワティ大統領を追い落とす戦術として「昔は良かった」と喧伝したこともあり、症候群は広がりをみせていた。
 しかし、一連の選挙が終わって見ると、インドネシア国民は歴史を後戻りさせることはなかった。史上初の直接投票による大統領選挙を成功させ、守旧派でもメガワティ派でもない、国軍の政治社会参謀長だったユドヨノ氏の清潔なイメージと指導力に期待して、国民はユドヨノ氏を第六代の大統領に選んだ。
 独立機関となった総選挙委員会が初めて機能し、不正や暴力がほとんどなく、世論調査や選挙報道が活発で、自由で公平な選挙が実現したことは、インドネシアの民主化が大きく前進した歴史の一ページとして記録されるだろう。
 四月五日の総選挙の開票風景は、インドネシア・ウオッチャーにとって感無量だった。ジャカルタのカンプン(下町)のどの投票所でも、メガワティ大統領の闘争民主党の名前が読み上げられると、一斉にブーイングが起きた。国民の期待を裏切ったメガワティ政治に飽き飽きした市民の叫びだった。
 開票結果は、ゴルカル党が議会トップに返り咲き、メガワティ大統領の闘争民主党は惨敗。本格派イスラム政党の福祉正義党と、新参のユドヨノ氏の民主党が、大躍進を成し遂げた。政治勢力としては歴史も浅く、広いインドネシアでは、無名に近い新興政党だった。「クリーンな政治」を綱領に掲げた二政党が政治の中枢に躍り出たことで、国会で四十席以上を確保した政党が七党となり、インドネシア政治は多党化時代に突入した。
 九月二十日の大統領選挙の決選投票は、苦戦の末、仇敵ゴルカル党と組んで、なりふり構わず再選を狙うメガワティ大統領と、世論調査で圧倒的な人気を見せたユドヨノ氏との間で争われたが、国民はメガワティ氏とゴルカル党の癒着や、旧態依然のメガワティ氏の政治手法に反発。「変革」に期待を寄せる国民の熱意が、新人のヨドヨノ氏に圧倒的勝利をもたらした。こうした劇的などんでん返しの選挙プロセスは、インドネシアの政治史にはなかったことだ。
 九月九日、ジャカルタの豪州大使館前で爆弾テロ事件が起きた。バリ島爆弾事件(〇二年十月)、ジャカルタのホテル爆弾事件(二〇〇三年八月)に続く、インドネシアでの三番目の大型爆弾テロ。インドネシア政府やイスラム指導者は、「イスラムとテロは関係ない」というメッセージを繰り返し国民に提示したが、テロ根絶へ決然とした対策をとらなかった。そのツケが三度目の大型爆弾テロを引き起こし、インドネシアの国際社会での信頼性を、またもや、おとしめる結果を招いた。
 テロと汚職をなくし、司法や経済の合理性を高め、経済を高度成長への道を切り開くためのアクション・プランを宣言したユドヨノ大統領への国民の新鮮な期待は、新年を迎えても、衰えることはなかろう。ユドヨノ大統領を補佐する実業家出身のユスフ・カラ副大統領が、ゴルカル党の党首に選ばれたことで、ユドヨノ政権の議会対策に都合が良い、新たな与野党連合を模索する動きもある。
 〇二年から〇三年にかけ、三%台から四%台にようやく回復した経済成長率(国内総生産の伸び率)は、今年はほぼ五%成長に漕ぎ着けた。ユドヨノ政権は、来年〇五年から〇九年までの間、毎年、六─七%の成長を維持し、任期が終わる〇九年には、年平均七─八%の成長を実現したいとしている。
 そのためには、日本などの外国投資も含めた新規の直接投資を増やし、成長の流れを一挙に加速する必要がある。日本の投資家が中国傾斜を強めている中、日本インドネシア官民合同投資フォーラムがスタートしたのも、ユドヨノ政権への期待が大きいことを物語る。
 年の瀬が迫り、アチェ州を襲った地震と津波の大災害は、信仰に生き、反ジャワ感情の強いアチェ人の心に深い傷跡を残した。分離独立運動を弾圧する国軍と武装組織の間で、内戦が続いているアチェ州の民生安定に、今度こそ、日本を中心とした国際社会が大きな役割を果たせるのではないか。
 内戦状態を放置し、自然や資源を切り売りし、自己の利益を追求することを、いまなお、やめようとしない政治・経済エリートへの反発を、アチェの人々が一層、募らせる可能性も否定できない。「悲しみのインドネシア」のマスコミのキャンペーンの陰で、新たな社会危機が芽生える恐れもある。
遊説中のメガワティ大統領(当時、3月22日)
遊説中のメガワティ大統領(当時、3月22日)
ジャカルタ日本人学校入学式(4月15日)
ジャカルタ日本人学校入学式(4月15日)
初の直接大統領選がスタート(6月1日)
初の直接大統領選がスタート(6月1日)
スハルト元大統領も投票(7月5日)
スハルト元大統領も投票(7月5日)
ブロモ山が噴火(6月8日)
ブロモ山が噴火(6月8日)
曽我さん一家、ジャカルタで再会(7月9日)
曽我さん一家、ジャカルタで再会(7月9日)

◇2004年の主なできごと

 【1月】
 15 バスレーン(バス専用レーン)がスタート
 26 新3イン1スタート、夕方も規制
スラバヤで第2回よさこい祭り(7月31日)
スラバヤで第2回よさこい祭り(7月31日)
トヨタが発表した新型キジャン(9月1日)
トヨタが発表した新型キジャン(9月1日)
爆弾テロの標的になった豪州大使館(9月9日)
爆弾テロの標的になった豪州大使館(9月9日)
 【2月】
 1 到着ビザ導入開始、一部で混乱 
 6 パプアでM6・9の地震、35人死亡
 12 食糧調達庁公金横領事件でアクバル・タンジュン議長に無罪判決
 22 バリ島で2回目の3都市対抗スポーツ大会
 【3月】
 11 全国一斉に選挙キャンペーンスタート
 【4月】
 5 全国で一斉に投票、正義福祉党、民主党が躍進
 15 ホテル・インドネシアが42年の歴史に幕
 20 ゴルカル党、ウィラント氏を大統領候補に
 30 バアシル師を反テロ法違反で再逮捕
 【5月】
 5 総選挙結果、ゴルカル1位、闘争民主党2位
 12 初の大統領直接選で6組が立候補を届け出る 
 18 アチェ戒厳令を文民非常事態宣言に格下げ
 【6月】
 1 初の大統領選がスタート
 8 ブロモ山が大噴火、観光客2人死亡
 25 参院選公示、ジャカルタで初の在外公館選挙
 26 JJSで体育祭、緑組が優勝
 28 東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議開幕
 【7月】
 5 初の大統領直接選挙、ユドヨノ氏がリード
 9 曽我さん、夫、娘と1年9カ月ぶりに再会
 26 ユドヨノ氏が1位、メガワティ氏と決選投票へ
 【8月】 
 16 初の日イ経済高級事務レベル会合開催
 【9月】
 1 トヨタ、新型キジャン「イノーバ」発表
 3 東南アジア諸国連合(ASEAN)経済閣僚会議開幕
 7 人権活動家ムニール氏が機内で急死
 9 豪大使館前で爆弾テロ、9人死亡
 20 大統領決選投票、ユドヨノ氏が圧勝の勢い
 【10月】
 1 新国会・地方代表議会がスタート
 8 在仏インドネシア大使館で爆弾テロ
 15 ラマダン(断食月)入り
 20 ユドヨノ氏が第6代大統領に就任
 【11月】
 12 アロール島でM6の地震、死者31人以上
 13 レバラン(断食月明けの大祭)祝う
 20 チリのアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、ユドヨノ大統領と小泉純一郎首相が初会談
 26 パプアでM6・4の地震、死者32人以上
 30 ライオンエアがソロで事故、28人以上死亡
 【12月】
 26 スマトラ島沖で大地震 8万人以上死亡
バンドン日本人学校20周年を祝う(10月10日)
バンドン日本人学校20周年を祝う(10月10日)
チリで小泉首相と初会談(11月20日)
チリで小泉首相と初会談(11月20日)
石原東京都知事が来イ(11月22日)
石原東京都知事が来イ(11月22日)
ライオンエアが着陸に失敗(11月30日)
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