夫が漁に出ている間、パンブスアン村の主婦たちは機(はた)を織る。
高床式の伝統家屋の一階から漏れるリズミカルな音に引かれ、薄暗い作業部屋をのぞくと、アイサさん(三五)が手慣れた手付きで紫と白の縞模様の織物(テヌン)を織っていた。
機織り機は先祖代々受け継がれてきた年代物。戦前の日本の農村にもあった機織り機にそっくりだ。
アイサさんによると、男が十七歳で一人前の漁師として認められるように、女も十七歳で本格的に機を織り始める。一カ月に作る織物は三枚。織物はサロン(腰布)として使用され、近隣住民からの依頼のほか、隣町マジェネの仲買人が買い取ってくれる。月当たり約六十万ルピア(約七千円)の貴重な収入源だ。
「機織りは良い運動になるし、村の落ち着いた生活が好きだ。祖母から受け継がれた機織り機がある限り、都市に出るつもりはないよ」とアイサさん。
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器用に魚をさばくアルウィ君(右)
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■一家で日干し魚作る
村ではたこ上げやサッカーに興じる子供たちの歓声が絶えない。
夕方、三、四歳の子供たちに囲まれて再び集落を散策すると、家の前に、まな板と包丁、塩を並べ、ラジャンという魚をさばく一家の姿がいくつもあった。
ラジャンの背を包丁で割き、内臓を取って塩をまぶす。三日間、軒先で日干しにした魚は市場で一匹二千ルピア(約二十五円)で売れる。
父、母、姉とともに器用に魚をさばいていたアルウィ君(一二)は「小学一年から毎日、午後五時になると魚をさばいている。もうすっかり慣れた」と話す。隣人一家や家族と談笑しながらの微笑ましい作業にはマンダル人に今も残る家族の絆があった。
作業を終えた男の子たちは、浜辺に繰り出し、釣りをしたり、小型のカヌーで遊ぶ。女の子たちは、夕食を作り始めた母親の仕事を手伝い始めた。兄弟が乗ったカヌーでは、兄が弟に漕ぎ方を教えている。遊びの中から、仕事や人間関係のこつを覚える子どもの姿に昔の日本をだぶらせた。
琥珀色に染まった海岸で、魚を釣るたびに誇らし気な笑みを向けるアフマッド君(一一)を見ていると、テレビゲームや塾通いに走る現代の日本の子供たちにはないたくましさを感じた。