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2004年4月20日 じゃかるた新聞掲載

「王国」の技術を日本に
 バドミントンの元国内チャンピオン ジュニア選手を育て
 スポーツ振興に貢献 くまもと八代YKK監督兼選手
 リオニー・マイナキさんに聞く

 インドネシアが世界に誇るスポーツ、バドミントン。カンプンにはコンクリート床のぼろぼろのコートが必ずと言っていいほど設置され、娯楽として楽しむ庶民が日没まで絶えない。バドミントンが、これほど庶民に親しまれている国は世界にも例がなく、インドネシアが「バドミントン王国」であり続けるゆえんだ。そのインドネシアが輩出した世界的プレイヤーの一人、リオニー・マイナキさん(三七)=YKK九州勤務=は十一年前、日本の熊本県八代市へ渡り、実業団チーム「くまもと八代YKK」の監督兼選手として、日本人選手の指導やバドミントンの地域振興に携わってきた。リオニーさんは、「王国」の世界技術を日本に伝え、日本とインドネシアのバドミントン交流を活発化させたいと願っている。

■国体選手の3男坊

 リオニーさんは一九六六年、当時国体のマルク州代表選手だった亡き父ヤンチェ・ルドルフさんの三男として、北マルク州(当時マルク州)テルナテに生まれた。
父ヤンチェさんの遺影の前に並ぶリオニーさん(左から2人目)一家
父ヤンチェさんの遺影の前に並ぶリオニーさん(左から2人目)一家
 「初めてバドミントンに触れたのは八歳のとき。ラケットの代わりにスリッパを使って次男のリチャードや四男のレキシと遊んだ。十一歳のとき、午後五時ごろに父の練習が終わった後、本物のラケットを使わせてもらった。日が沈むまでの少しの間、あの時間が本当に楽しみでしたね」
 午前四時に起きてはバドミントン、下校後もバドミントン、夜は電灯の下で行われる近所の試合に参加する生活。瞬間的にシャトルの弾道を読む判断力、身長の低さをカバーするためのジャンプ力が自然に身に付いた。
 気付いたときには、同世代の相手はリチャードさんら兄弟以外に見当たらず、毎日大人を相手に試合をしていた。

■どこでもプレーする兄弟

 長男リチャードさんは十五歳で国体出場。ポーランド・グランドオープンで優勝するなど着実に戦歴を上げ、現在はインドネシア代表コーチとして世界最強チームの采配を振るう。
 四男レキシさんも国内外で活躍。一九九六年のアトランタ五輪ダブルスで金メダルを獲得し、国民的ヒーローとなった。現在は英国代表コーチ。
 五男マルレフさんはスイス代表入り。七男カレルさんは金沢大コーチとして学生の技術指導に力を注ぐ。
 インドネシア代表選手でもあったマルク出身の兄弟は、世界最高峰の国別対抗戦、トマス杯の常連選手としてインドネシアの連覇に貢献、バドミントン王国の栄光の歴史を体現してきた。
 最近はインドネシア国内にとどまらず、選手や指導者として世界各地で活躍するマイナキ兄弟についてインドネシア紙は「マイナキ・マイン・ディマナマナ」(マイナキ兄弟はどこでもプレーする)と大見出しで賞賛している。

■デビュー戦で完敗

 リオニーさんの最初のナショナル・ゲームへの参戦は、十七歳のときにマルク州代表として出場した国体選手権。当時、国内バドミントン界の五本の指に入ったスター、東ジャワ代表のハストモ・アルビー選手と対戦した。
 「すごいスピンをかけてネットすれすれに落としてくる。いままで見たこともないスタイルだった。上には上がいることを思い知らされた」
 デビュー戦は手痛いストレート負けだった。
 一九九〇年代初めに国内バドミントン界の頂点に上り詰めるまで、ジャカルタの小さなクラブチームに所属し、地区大会に出場して実力をつけた。数々の試合の中で、「どうやって相手に勝つか」ということだけを考え続けた。
マイナキ兄弟を報じた地元紙。写真はリオニーさんら4兄弟
マイナキ兄弟を報じた地元紙。写真はリオニーさんら4兄弟
 リチャードさんら兄弟の活躍を脇目に、地道な思考と鍛錬の毎日だった。

■王国の技術を伝える

 九三年、熊本県八代市にバドミントンクラブを発足させたばかりのYKK九州の打診を受け、日本へ渡った。
 当時、選手として脂が乗り切った二十六歳。四男レキシさんとダブルスを組み、インドネシア代表選手として世界を転戦する夢もあった。だが、バドミントン王国の世界最高の技術を日本に伝えることを決意した。

■日本選手へアドバイス

 日本バドミントン界は長い低迷期にある。トマス杯で言えば、男子は今年五月の第二十三回大会まで二十年間、本選出場を果たせなかった。約三十年前、世界一だった女子も、現在は中国や韓国、欧米の高い壁に阻まれ続けている。
 日本人選手に欠けているものとして、リオニーさんは「自信を持つこと、そして絶対に勝つという向上心を持つこと」の二点を挙げる。
 「日本人選手の技術は十分に世界で通用する。しかし、その技術を組み合わせてどうやって試合に勝つかを考える経験を積まなければならない。日本人は努力を惜しまないので必ずできる」
 日本人と同じ身長の低さをカバーするため、国内外の試合の中で地道な試行錯誤を繰り返し、トップにのし上がったリオニーさんだからこそ言える、日本への期待の言葉だった。

■八代市の地域振興に参加

 YKKは昨年、地域クラブとして新たなスタートを切った。リオニーさんは今年で日本在住十一年目。地域のバドミントン振興により力を注ぐようになった。空いた時間を利用して地元高校バドミントン部の指導も行う。
 リオニーさんに今後の夢を聞いた。
 「日本のジュニアをインドネシアでの交流試合に送り出し、お互いのバドミントン育成を目指すための橋渡しをしたい」
 そう語るリオニーさんの目には、近い将来、日本とインドネシアの代表が、五輪の金メダルをかけて対戦する姿が映っていたのかもしれない。




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