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2002年8月9日のトップニュース

スリルと活気が溢れる街

タナアバン市場ルポ(上)

ガラクタや日本の古着も

アフリカ人も商売に参加

 高層ビルが立ち並ぶジャカルタの中心部・タムリン通りの西側に広がるタナアバン地区は、オランダ時代から布地や衣類の卸売りの問屋街として知られ、現在は、青果市場やガラクタ専門の泥棒市もあるジャカルタ最大の青空市場としても賑わいを見せている。毎週日曜の路上マーケットは、庶民生活に必要な商品が格安で買えるので、ジャカルタっ子が殺到する。タナアバンの活動は、インドネシア経済の繁栄ぶりを示すほど重要な市場だが、治安の悪さでは市民の評判が悪い。四年前のジャカルタ暴動の際にタナアバンのやくざが動員されたり、麻薬取引にかかわるアフリカ人が住み着き、「スリ天国」とも言われ、外国人が近付きにくいイメージもある。さまざまな表情を持つ庶民の町を歩いてみた。

 「さあさあ、布地なら何でもそろってるよ」「安いよ、ちょっと見て行って」
 国鉄タナアバン駅の東側に位置する三階建てビルが並ぶタナアバン市場は、七千軒もの店を収容する東南アジアでも最大規模といわれる巨大マーケットだ。
 布地・衣類関係の店が全体の九割を占め、連日、買い物客で賑わっている。
 三十年前から同じ場所で布地屋を経営する女主人、バンバン・パンブディさん(四四)は「うちの布地は品質が良いのが自慢。お客さんには韓国人や日本人もいるわよ」と話す。

■「お兄さん」の土地

 色とりどりの布地の多くはバンドンで生産されているが、一部は韓国からの輸入品もある。ジャカルタ首都圏からスマトラ島に広がる商圏を背景に、小売店や安くて良質の布地を求める外国人のトレーダーも訪れる。
 タナアバンの地名の由来は二つの説がある。「タナ」はインドネシア語で「土地」の意味だが、アバンは「お兄さん」を意味するジャカルタ方言か、「赤」を意味するジャワ語かで解釈が分かれる。つまり「お兄さんの土地」あるいは「赤い土地」というわけだ。

■繊維を売り出す街

 記録によると、タナアバン市場の歴史はオランダ植民地時代の一七三〇年代にさかのぼる。当初は中華系商人が布地、アラブ系商人がカーペットなどを商っていたという。
 現在の三階建てビルが建設されたのは、一九四一年。日本軍が進駐する少し前だった。
 タナアバンが、繊維の卸市場として栄えたのは、オランダが建設した西部ジャワを縦貫する鉄道のおかげだ。タナアバン駅から西へ延びる鉄道はフェリーでスマトラ島へ繋がり、沿線に開発されたゴムのプランテーションを結ぶ。プランテーションで働く農業労働者に布地や衣類を供給する市場として発展したといわれる。

■華人とパダン人が強い

 市場に出店するには営業許可証を購入しなくてはならないので、商人たちは市場の外で商売を始め、「場内進出」を目指して資金を貯めるそうだ。
 こうした競争を経て、現在市場内の大部分は、資金力があり商売上手な中華系と、働き者の出稼ぎ者が多い西スマトラのパダン人が占めている。
 ところが、市場の外には外のやり方がある。近くの細い路地に、懐かしい中学・高校生向けのジャージなど古着を並べている店があった。

■日本の古着専門店

 店主のアグス・ティアさん(五〇)は「仕入れ値の安い日本の古着に目を付けて、この商売を始めた。かれこれ十年になる」と話す。スーツや婦人服、子供服まで、船便でシンガポール、メダンを経由してジャカルタ港に届く大量の古着を、状態の良いものと悪いものに仕分けし、値段を決めて売っている。
 「あっち(市場)は新品、こっちは古着。そもそも職種が違うんだ。安いものしか買えないお客だっているから、我々の商売も役に立つってもんだよ」と、アグスさんは笑った。

■アフリカ人も進出

 タナバアンでも、四年前のスハルト体制崩壊後に、国際化が起きた。出入国やビジネスが自由になったため、布地の買い付けに来るナイジェリア人などアフリカ人の姿が急速に増えた。
 周辺のカンプンに昔から住む住民は「アフリカ人のせいで、イメージも治安も悪くなった」「密輸した麻薬を売って資金を作り、アフリカ向けに輸出する繊維の支払いに充てる」と真顔で話す人もいる。
 だが、タナアバンを訪れる庶民の間では、もともと「スリに気を付けてね」というあいさつ代わりの言葉がある。アフリカ人はカンプンの安宿に住み付き、「アフリカ料理店」を開いたインドネシア人もいる。タナアバンの評判が悪いのは、アフリカ人のせいだけではない。




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