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2001年3月12日のトップニュース
思い出すのは「5月暴動」
JJS11先生を送る会
しんみり、楽しく、盛大に
「スラマット・ジャラン」
ジャカルタ日本人学校PTA(長栄周作会長)と学校維持会(岡川裕明理事長)の共催で十日、約二百五十人の保護者や先生が参加し、今月末、日本に帰任するジャカルタ日本人学校(JJS)の十一人の先生たちの送別会がホテル・プレジデントで開かれた。PTAの実行委員会が数カ月かけて準備した送別会の会場には「スラマット・ジャラン」の大きな幕が飾られ、十一人の先生たちが演壇に立ったあと、送る側の保護者たちの演芸と、送られる先生たちの歌や踊りが賑やかに披露された。
冒頭の挨拶で、学校維持会実行委員長の森山英毅さんは「校歌の中の『椰子の葉陰で』を聞くたび、ジャカルタで学ぶ子供たちを思い、感動してきた。日本から六千キロも離れた地で、立派な教育が行われていることへの感動だ。この三年間、さまざまの困難があった。でも、当たり前のことを難しくなくやりとげるというプロの精神に満ちた仕事を、先生方はなしとげられた。それは先生と父兄と邦人コミュニティーの手作りのたまものだったと思う」と述べ、十一人の先生たちが、活発な教育活動を維持し、子供たちの安全を守り抜いた仕事を讃えた。
学校維持会理事長の岡川さんは「インドネシアの激動期を過ごされた歴史的な経験を財産に、次の職場でもがんばってほしい」と激励。中島栄総領事の乾杯に続き、PTA会長の長栄さんと寺澤明先生の剣道の模範演技など、送る側の演芸があり、後半はラグラグ会の会員でもあった斎藤、伊藤、竹田の三人の先生が三年間にマスターしたインドネシアのヒット曲を唄ったり、全員がインドネシア・プサカを唄って、保護者たちから拍手を浴びた。花束や記念品の贈呈があり、先生たちのお別れの挨拶があると、会場はしんみり。
岩井宏有校長は「暴動の年、課題は多かったが、残る二年間、エネルギーを費やしてくださった」と感謝の言葉を述べた。
十一人の先生は一九九八年四月、ジャカルタに赴任して間もなく五月暴動とスハルト政権崩壊に遭遇。続く総選挙、大統領選挙などの歴史的事件の中で、臨時休校や授業短縮など学校運営面で、さまざまの困難に直面した。通貨危機の前、約千二百人だった児童・生徒も一時、六百人台まで減ったが、現在は約七百四十人となり、邦人のジャカルタ復帰を示している。
帰任する先生は、斎藤有紀雄(中学部教頭、神奈川)、伊藤洋一(中学部教務主任、群馬)、平田鐘明(小学六年一組、東京)、神谷潤(小学六年二組、福岡)、金子貴美代(小学二年三組、青森)、古川和生(中学部、進路主任、青森)、竹田宏規(小学五年一組、東京)、小川崇(中学二年一組、徳島)、長岡俊勝(小学部教務主任、宮崎)の小・中学部の各先生。また幼稚部の野村絹代副園長と藤田みどり先生の計十一人。
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