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2001年2月16日のトップニュース

災害現場に1番乗り

スピード重視のNGO

ピース・ウィンズ・ジャパン

インドネシア人動かす戦略

 先月中旬、ジャカルタに初めて事務所を開いた途端「ムラピ火山爆発」の第一報。その直後、中部ジャワのムラピ火山の難民支援に駆けつけた日本の非政府組織(NGO)があった。日本の災害支援の出動はいつも遅い。それなら、スピードを重視しようという新進気鋭の「ピース・ウィンズ・ジャパン」だ。バンテン州、ゴロンタロ州の水害対策の支援活動にも着手した。自然災害が目立つインドネシアに、動きが速くて頼もしい援助の拠点が生まれた。
 スタッフは、つい最近まで国際協力事業団(JICA)の専門家として、インドネシアに派遣されていた太田有生夫さん(四〇)と松沢和浩さん(四〇)の二人。
 太田さんは昨年十月までの六年間、工作機械の専門家としてブカシの職業訓練所やメダンの北スマトラ大学で技術指導に当たっていたが、いったん帰国し、仲間の誘いでNGO入り。とんぼ返りでジャカルタに戻ってきた活動家。東北大学工学部で金属加工を学んだ技術者だ。
 松沢さんは一九八三年からJICA専門家として、ディーゼル車両修理、ジャカルタ首都圏の鉄道整備、熱帯雨林などのプロジェクトを手がけ、インドネシア滞在十七年というベテラン。早稲田大学で文化人類学を学び、探検部を率いてイリアンジャヤに挑んだこともある。
 二人ともインドネシア語は完璧。インドネシアの政府や地方の事情にも通じている。
 ピース・ウィンズ・ジャパンは一九九六年に発足した新しいNGOだが、「国境を越えた緊急支援」に強い団体として注目されている。東ティモールやイリアンジャヤのソロンでも活動している。

■ムラピ火山へ飛ぶ
 タムリン通りのヌサンタラビル十二階に、事務所を開いたのは一月十五日。ムラピ火山の動きを知った二人は十八日、ジョクジャカルタに飛び、政府機関との調整と情報収集を開始した。
 ジョクジャカルタの砂防技術センターで火山の災害対策の技術指導をしているJICA専門家の竹内正信さんを訪れた。竹内さんの協力で、火山活動を逐一メールで知らせてもらう連絡網が出来上がった。
 標高二九六八メートル。富士山そっくりの山頂にあふれた火砕流は、いつ泥流となって山麓を襲うかもしれない。竹内さんはその災害を食い止める砂防技術の専門家だ。ムラピ山の道路や川、火砕流の被害を記入した竹内さんの地図は貴重な資料だった。
 現地調査を終えた太田さんと松沢さんは、大型の噴火に備え、約一千世帯分の食糧と医薬品を買い集め、ガジャカマダ大学の学生ボランティアの協力を得てキャンパス内に備蓄した。米、水、インスタントラーメン、干し魚、食料油、砂糖のほか薬品をパックにした非常食品だ。
 幸い二月十日の噴火の被害はなく、食糧配布には至らなかったが、予想される大噴火や集中豪雨がもたらす泥流の被害に備え支援の体制は万全だ。
 太田さんは「人口が多いジャワ島の山は、頂上付近を残し、至るところに農民が住んでいる。一九九四年の爆発で六十四人の住民が火砕流に巻き込まれて死亡しており、今回も、いつ大災害が起こるかわからない」と語る。

■西ジャワ水害を支援
 ムラピ山の噴火と並んで増えているのが、集中豪雨による洪水と土砂崩れの被害。
 最近、州に昇格したばかりの西ジャワのバンテン州と北スラウェシのゴンタロ州で、数万人が家を失い、州当局は食糧支援を訴えている。
 十四日、ジャカルタから西へ三時間。太田さん、松沢さんとインドネシア人のスタッフは、トラック二台にインスタントラーメン約四万食を積んで、バンテン州のパンデグランとランカスビトンを訪れた。
 パンデグランでは約七千戸の家が流され、約五万七千人が被災。対策本部の備蓄食糧も底を突いていた。孤立したままの村もある。食糧と衣類の支援が求められている。
 ランカスビトンは約五百戸の家が崩壊し、被災者は約一万人。金鉱の土砂崩れで九十八人が死亡したことがマスコミで伝えられ、インドネシアのNGOが支援しているが、規模が小さく、焼け石に水の状態だ。
 開所したばかりのジャカルタ事務所に、各地の水害対策事務所から電話がかかり、食糧支援を訴えてくる。 
 着任早々、多忙なスケジュールに追われることになった竹内さんと松沢さんは「政治に関与しないニュートラルな活動がいまのインドネシアにふさわしい。当面は、災害支援を中心に活動するが、インドネシアのボランティアに頑張ってもらうことが大切です」と語っている。

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