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2001年2月15日のトップニュース
地元民も出戻り組も安堵
新・東ティモール紀行(1)
蘇った市場
小松邦康
インドネシアの支配下にあった東ティモールは、一九九九年八月三十日に行われた住民投票の結果、独立に向かい、現在は、国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)の管理下にある。住民投票から一年半、東ティモールの人々の生活はどう変わったのか。紀行作家の小松邦康氏に、最近、訪れたディリなどの表情を現地から伝えてもらう。小松氏は、昨年六月、じゃかるた新聞に「二〇〇〇年マルク紀行」を連載している。
昨年暮れ、クリスマス・イブを翌日に控えた土曜日、一週間前にオープンしたばかりという洋服店は買い物客でごった返していた。
レジの前には何着ものシャツやズボンを持った人たちが並び、順番を待っていた。店の外の道路は車が渋滞し、アフリカ人の警官が交通整理をしていた。
経営者のヌルカディスさんはインドネシア人だ。一九九二年からディリに住み、ジャワで仕入れた洋服や雑貨を売っていた。
九九年八月三十日、東ティモールの独立の是非を問う住民投票があった。投票前から独立に反対する民兵らの一般住民への暴力や略奪が始まっていた。ヌルカディスさんも「インドネシアに帰れ」と脅され、九月四日、騒乱状態のディリから一家でジャワに脱出した。
スラバヤの親せきの家に一年余り居候していたヌルカディスさんは、ディリに戻って商売を再開した友人に、「もう安全だ」と誘われ、二〇〇〇年十月ディリに戻った。
■ジャワ商人を歓迎
住んでいた家と店の家財道具は略奪されたうえ焼かれ、壁しか残っていなかった。しかし、東ティモールの人たちはみな温かく迎えてくれた。
騒乱前は町一番の商店街だったコルメラ地区の黒焦げになった商店を買って改装し、十二月半ば、洋服屋を開店した。その間ディリ−スラバヤ間を何度も往復し、建築資材を買ったり商品を仕入れた。一回につき四−五億ルピアの金を使った。
そのかいあってクリスマス前の開店に間に合い、商品はバーゲンセールのように売れていく。値段はスラバヤの二、三倍するが、値引き交渉をしている人はいない。
「私は彼らの好みのファッションを知っている。オーストラリア製よりインドネシア製の方が彼らに合うし、ずっと安いからね。なじみの客もたくさん来てくれる」と、ヌルカディスさんはホクホク顔で話す。
■ルピア、ドル、豪ドル
東ティモールの通貨はまだないのでインドネシアのルピアが通用するが、米ドルや豪ドルで支払う人もいる。国連関係者や外国人と働き外貨で給料をもらっている人たちだ。
「以前のように新しい洋服が買えるようになってよかった」「クリスマスにきれいな服が着れるのでうれしい」と、客もニコニコ顔で帰って行く。
「メルカドラマ」と呼ばれるディリの中央市場は史上最高の賑わいだ。住民投票の前には武装した民兵が徘徊し、店も人通りもなくなってしまったほど物騒な市場だった。
当時、そこで取材していた私は、突然刀を振りかざされ、「外国人は帰れ」と怒鳴られ、全力で走って逃げたこともある。
暴動を鎮圧するため東ティモールに多国籍軍が派遣され、インドネシア国軍と民兵が撤退し、治安が落ち着き始めた九九年十月、中央市場は再開した。キャベツ、ニンジン、バナナなどがリヤカーで運ばれ、避難民たちがそれを取り囲んだ。そして細い木の柱と日よけシートだけの簡素な店に徐々に野菜以外の商品も並ぶようになった。
■インドネシア商品が豪州産を追い出す
商店街が焼き払われなくなったので、あらゆる店が中央市場に集まってきた。インドネシア時代、会社員や公務員など職のあった人が失業し、日銭を稼ぐために開いた店も多い。
その後、ディリとジャワやスラウェシなどとの貨物船の航路が復活し、インドネシア製品がどんどん入って来るようになり、割高なオーストラリア製品が淘汰されてきた。
今、中央市場にはグダンガラムもビンタンビールもハラルマークの付いたインドネシア製の味の素も所狭しと並んでいる。
商品が増えるにつれ物価は下がってきた。とはいえ東ティモール産の野菜や果物に比べ、輸入品の値段は高い。流通業者が市場価格を操作しているからだという。
■ドルの両替商
カセット屋からは地元のテトゥン語やインドネシア語の歌謡曲が流れてくる。「ドラー、ドラー、ドラー」と、米ドルや豪ドルの札束を手に声を掛けてくる、インドネシア時代にはいなかった両替商もたくさんいる。「ルピアの価値が下がっているので外貨に交換する人が増えている」と言う。
スハルト元大統領の肖像が描かれた五万ルピア札もここではまだ通用する。
■名物・闘鶏も復活
昔から東ティモールの男たちの一番の娯楽だった闘鶏も復活した。騒乱前はインドネシア国軍の兵士や警官も一緒に遊んでいたという。家が焼かれたとか、職を失ったという男たちも、朝から日没まで闘鶏に熱中している。
独立を選択した東ティモールは、多くの人を殺し、略奪し、町を破壊したインドネシア国軍や民兵が出て行き、治安が回復された。「国軍や民兵は嫌いだが、ふつうのインドネシア人やインドネシア製品は好きだ」という声をよく聞いた。
東ティモールの住民にも、戻って来たインドネシア人にも安堵の気持ちと生命力の強さを感じる。市場にはインドネシア製品があふれている。市場があれば国家などいらないのかもしれない。(つづく)
小松邦康(こまつ・くにやす) 紀行作家。一九五九年、高松市生まれ。ジャカルタを拠点に世界各地を旅している。東ティモールは八九年から十数回取材。九九年、朝日新聞の取材で住民投票を取材。二〇〇〇年十二月、NHKのロケで南西部スアイに滞在。著書に「楽園紀行」「インドネシア全二十七州の旅」。
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