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2000年12月12日のトップニュース

元日本兵の乙戸さん逝く

福祉友の会設立に尽力

 太平洋戦争でインドネシア占領作戦に従事し、戦後はインドネシア独立軍兵士としてオランダ軍と戦った残留元日本兵の相互扶助組織である「福祉友の会」の設立に尽力した乙戸昇(おつど・のぼる)さんが、十日午前五時、中央ジャカルタ・メンテンのアブディワルヨ病院で亡くなった。
 八十二歳だった。
 十日午後二時、国軍派遣の儀仗兵に抱えられた乙戸さんの棺は、オランダ独立戦争を戦った兵士として、南ジャカルタのカリバタ英雄記念墓地に、手厚く埋葬された。乙戸さんの遺族や福祉友の会の関係者ら約百人が参列した。
 乙戸さんは最近、日本へ今年四回目の里帰りをして帰国した後、体調を崩し、十二月一日から入院していた。
 乙戸さんは早稲田大学専門部卒。一九四三年、近衛歩兵第三連隊に入隊、スマトラ島メダンに派遣された。一九四四年、ジャワ南方軍予備士官学校を卒業、少尉に昇格。機関銃小隊長を任命されて間もなく、終戦を迎えた。
 大東亜共栄圏建設を目指した軍政下で、早稲田大卒の日本兵士として任務を果たしたあと、日本が約束していたインドネシア独立のために残留を決意した。
 戦地に派遣されたものの帰国しなかったために、日本政府の支援がなく困窮状態にあった元残留日本兵の地位確立のために働き、一九七三年、元日本兵の相互扶助組織を設立するのに努力した。
 乙戸さんは残留日本兵として困難な日々もあったが、自動車の内装品や人形生産の事業で成功し、日本政府への働きかけや元日本兵の回顧録の編纂に当たるなど、他の会員とともに福祉活動をリードしていた。
 インドネシアに残留し、独立戦争に参加した日本人は約千人とされ、独立戦争が終わった一九五〇年代末には、多数の戦死者が出たため、生存した元日本兵は約三百人に減っていた。福祉友の会の会員は一時、百八十人だったが、現在は二十五人。
 元日本兵、衛藤七男さんの息子で、福祉友の会理事長のヘルー・サントソさんは「突然のことだったので驚いた。病院にお見舞いするつもりだったので、本当に残念です。もっともっと長生きしてほしかった」と語った。

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