「家族に誇れる工場を」 野波雅裕さん 人材育成センターなど設立 TMMIN前社長、JJC元理事長

 トヨタ自動車の現地製造法人、トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・インドネシア(TMMIN)前社長でジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)の理事長も務めた野波雅裕さん(63)が2月末、帰国する。北ジャカルタのTMMIN本社でインタビューに応じた野波さんは「車は人が作る。その人が家族に誇れる工場を目指した」と8年4カ月にわたったインドネシア生活を振り返った。

 トヨタ自動車入社以来、本社の生産管理、調達、人事部門が長く、初の海外赴任は2006年1月のタイの現地法人だった。本社時代、過酷な労働状況を訴えるルポ「自動車絶望工場」を読んだことが野波さんの頭に刻まれていた。09年11月、TMMIN社長としてタイから赴任した。
 「工場を視察すると、照明がうす暗い。暗くないか、と担当者に聞くと、インドネシア人は目が良いので、という。そんなことがあるか、と照明を明るくしたら稼働率が上がった」と話す。「工場で働く人が自分の家族に『すごいところだろう?』と誇りを持って言えるような会社にしなくては」という思いが強まった。
 その後、タイ現法に次いで、人材育成センターを設立、15年には職業専門校となるトヨタ・アカデミーも開設した。「教育はそれまでは各工場の現場のスペースでやっていた。だが、工場が忙しくなると、どうしても教育は二の次になる。教育専用の場所を作ること、人材育成にどれだけお金をかけられるかが大切だ」と話す。
 「トヨタの社員は何年経ったらトヨタの車を買えるのか」と尋ねた。野波さんは「高卒の社員は残念ながらまだ20年はかかっている。せめて10年働いたら買えるようにしたい。そのためには賃金を上げるしかないが、生産性を上げることが大前提になる」と述べた。
 インドネシアで印象に残ったのは14年の大統領選挙。「ものすごい熱気だった。タクシーの運転手が誰に投票するかと聞いてくる。外国人だからと言っても、インドネシア人だったら誰に入れる? という具合。日本ではこんなことはあり得ない。こうして国が変わっていくのかと思った」という。
 インドネシアに来た当初は、タイの現法がライバルで「タイに負けるな」をスローガンにしていた。5年前までは部品を輸入していたが、部品や資材の現地調達率を上げ、タイとの差はなくなってきた。また、調達率を上げると、地元の企業も強くなる。今や自動車輸出の9割をトヨタブランドが占めている。「輸出を増やせればインドネシアに貢献できる。輸出拠点として育てていくことが大切だ」と話す。
 JJCの理事長は14年4月から1年間務めた。製造業出身の初の理事長だった。「ビジネスで困っている会社が1社でもあれば支援するという方針だった。会員になっていない日系企業にはぜひ参加してほしい」と呼びかける。
 17年4月、社長を退任し、上級統括取締役に。帰国後、4月からトヨタ関連の会社の経営を担う。40年間勤めたトヨタをインドネシアで「卒業」することになる。「この間、日本で車を買い、練習した。日本では自分で運転するのが当たり前ですから。でもブレーキを踏んだら、足がつった」と笑う。「インドネシア時代は景気も右肩上がりで、私は運が良かった。こんな楽しい時代はなかった」と締めくくった。(田嶌徳弘)

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