「僕なりの友好」を 来年の目標、日イ60都市ツアー 歌手の加藤ひろあきさん

 インドネシアで活動する歌手の加藤ひろあきさんに、日イ国交樹立60周年を迎える2018年の活動について聞いた。数多くのイベント出演が予想される中、「日イ60都市ツアーを1年で達成することが目標。(住民らが)日本人が歌っているところを見たことがない地域で歌う。それが僕のできること。僕なりの日イ友好」と力を込めた。
 17年は音楽活動に注力した1年だった。2月にインドネシア初のシングル「Buatmu Tertawa—あなたの笑顔—」、3月に初のアルバム「HIROAKI KATO」をリリース。ダウンロード販売はあるが、CDショップがほとんどないため、3千枚刷ったCDをライブ後に手売りし、千枚販売した。
 「コツコツ対面して売ってこれたので自信になりうれしかった。(CDは)自分の子どもみたいなものです」と頬を緩める加藤さん。「プニャニ(歌手)だ」。街中でサインを求められる時に掛けられる言葉も変わってきた。
 12月10日に中央ジャカルタのレストラン「ミスティカンザ」で開いた、自身初のランチ・ディナーショーには、日本人とインドネシア人約100人が集まった。音楽を座って聴いてもらう場所が日本よりも少ないと、準備に1年をかけ開いたイベントだった。
 友人らとランチの時間に訪れたソラヤ・セティヤディさん(63)が「歌のジャンルがカラフル」と話すとおり、ギターに沖縄の三線(さんしん)、ウクレレ、フィンガーシンバルなど多種多様な楽器で、しっとり聴かせるオリジナル曲「ジャカルタ・サンセット」、日イ両言語での「涙そうそう」、気持ちがぱっと明るくなる「ミュージック」など、11曲を披露した。
 アルバムを出して一区切りつけたが、「これをベースに多くの人に届けていくことが今、一番やりたいこと」。その延長線にあるのが、18年の目標に掲げる日本とインドネシアの60都市ツアーだ。
 「日本には多様性を、寛容な価値観や思考を伝えること。少子高齢化が進む今後の日本にとって、外国の価値観を広げていくことは必要になると思う」と加藤さん。一方で「インドネシアと日本は仲が良い。企業の進出も多いが、経済の魅力がなくなったら来なくなるかもしれない。仲が悪くなった時に抑止力になれるように存在感を高めていきたい」と話した。(中島昭浩、写真も)

かとう・ひろあき
 10年東京外国語大卒。ガジャマダ大学(UGM)留学中にジャワ島中部地震(06年)で被災した際、音楽と支援物資を被災者に届けた。13年にアンドレア・ヒラタ氏の小説「ラスカル・プランギ(虹の少年たち)」を福武慎太郎氏と共に翻訳。14年からジャカルタに拠点を移し、音楽活動やテレビ・ラジオ番組出演、司会、翻訳者としてマルチに活躍。よしもとクレアティブ・インドネシア所属。34歳。東京都出身。

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