復興願う2枚の絵 きょうアチェ津波から12年 教訓を未来へ 津波博物館

 2004年のスマトラ島沖地震・津波から26日で12年を迎える。09年以降、震災の記録を伝え続けてきたアチェ州バンダアチェ市のアチェ津波博物館では、東日本大震災の被災地、宮城県の子どもたちが描いた絵画の展示が新たに始まった。新館長のもと、教訓を未来へ残していく。

 24日、津波博物館の一室に、縦2メートル、横4メートルほどの大きな絵が二つ並んだ。一つは04年の地震・津波の被災地、アチェ州アチェブサール県の子どもらが描いた。もう一つは11年の東日本大震災で被害を受けた宮城県東松島市の宮戸小学校児童が描いた。
 宮戸小では震災直後、全校生徒29人で復興への願いを込め、豊かな海や緑に囲まれた「10年後の宮戸」を描いた。同校の児童は13年以降、アチェの子どもたちとテレビ電話などで交流。15年には、宮戸小の美術教諭がアチェを訪れて造形教室を開き、子どもたちは「未来のアチェ」をイメージした絵画を制作した。
 宮戸小は統合によりことし3月に閉校し、同校に壁画として飾られていた絵は津波博物館に贈られることになった。宮戸小とアチェの交流を支援してきたNPO地球対話ラボ(東京都大田区)の渡辺裕一事務局長は「未来に向けて震災を伝え残していかなくてはならない。子どもたち自身が未来と世界に向けて発信するきっかけになってほしい」と話した。

■助かった命、奉仕に
 津波博物館は当時の状況を伝え、津波について学ぶ場として09年に開館。来館者数は右肩上がりで、ことしは11月までで11年の年間来館者の3倍近い62万8886人を記録した。1月には和歌山県広川町の津波防災施設「稲むらの火の館」と協力協定を締結。その後「稲むらの火」や東日本大震災の被害・復興について展示する日本コーナーがオープンするなど、日本とも協力して防災伝承に努めてきた。
 12月には新館長にアル・ムニザ・カマルさん(36)を迎えた。「博物館を教育や研究の場に」と考えるアルさんは、「これまで一度も見直されたことがない」という被災物217点や現場写真266点など資料の見直しに着手する。
 アルさんはバンダアチェ市内にある州営アチェ博物館の管理局長との兼任。アチェの歴史や文化を展示する同博物館にも、津波で破壊されぼろぼろになったオートバイや避難生活で使われた蚊帳などの被災物が保管されており、これらを津波博物館へ移管して展示したい考えだ。
 アルさん自身も津波の被災者の一人。12年前の12月26日朝は、沿岸部のアチェブサール県カジュにある友人宅を訪ねていた。道中、友人の子ども2人への手土産に、チョコレートを買ったことを覚えている。
 友人宅に着いた直後だった。突然襲ってきた黒い津波にのまれた。ココナツの木につかまり、上ろうとしたが2度目の波が襲った。再び津波にのまれたが、流れてきたマットレスに捕まり、九死に一生を得た。両足にけがを負い、民家に流れ着くと、友人と奇跡的に再会。友人の妻を協力して助け出したが、友人の子2人は津波にのまれた。アルさん自身も母と弟、祖父母を失った。
 ボランティアで務める館長職は津波被災者としての「奉仕」と、アルさんは話す。「津波はいつでも、どこでも起こりうる。人とのつながりを築くことが生き残るすべ。博物館を訪れる人たちに、そのことを知ってほしい」(木村綾、写真も、12面に関連)

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