【貿易風】インドネシアのシーア派

 イラクやシリアの紛争をきっかけに近年スンニ派とシーア派の緊張が高まっている、といわれる。インドネシアでもこの影響は顕著で、急進勢力がシーア派の危険を喧伝(けんでん)している。2012年には東ジャワ州マドゥラ島でシーア派の集落が襲撃に遭い、数百人が現在まで難民化している。
 08年以降、年間200件以上の高止まりが続く国内の宗教的少数派への攻撃事件では、異端といわれるアフマディヤに次ぐ被害者がシーア派である。グーグルの検索トレンドをみると、シーア派はこの数年増加の一方、アフマディヤは事件のときだけ増える。それだけ反シーア運動が高まっている。もっとも、隣国のマレーシアではシーア派そのものが禁止されているが、インドネシアには国会議員もいる。
 シーア派とは、預言者ムハンマドの死後、そのいとこで娘婿のアリーとその子孫に引き継がれると主張した少数派を指す。東南アジアでは1%にも満たないだろう。ただ、ペルシャ(イラン)との歴史的関係は長く、宗教的な伝統をスンニ派とシーア派で容易に切り分けることはできない。 
 1979年のイラン革命はシーア派の存在を強く印象づけ、インドネシアでも学生や若い知識人の間でシーア派への関心が高まり、アラブ系で預言者の血統(つまりはアリーの子孫でもある)だといわれるハビブの一部でも「改宗」者が相次いだ。その後、イランへの留学生も増え、270人ほどが学位を取得している。東ジャワを中心にシーア派の学校も数十は存在する。スマトラ島のブンクルでは植民地時代に持ち込まれたシーア派由来の儀礼が地元の祭りとして定着していたが、近年はイラン大使館も協力して、より「本場」の儀礼に近づけられている。諸説あるが、少ない見積もりでもインドネシア全体で100万人を超えるといわれる。
 これまで起こった襲撃事件はいずれもシーア派の学校やその指導者の存在に脅威を覚えた、他の学校の生徒や指導者が首謀者となっている。武装闘争勢力やサラフィー派の反シーアはいまのところ「ヘイトスピーチ」に留まっているが、昨年12月に計画されたテロでは標的の一つに挙げられていた。
 シーア派の側では、組織名にシーアではなく、「預言者一族への敬愛」を掲げ、インドネシア一般のイスラム伝統との共通点を強調している。社会問題にも積極的に発言し、宗教の共存を前提とする市民社会に確かな足場を築いている。スラバヤ郊外に収容されているマドゥラ島出身のシーア派難民に対しては、主流派のナフダトゥール・ウラマ(NU)系の人権団体やカトリックの学生がボランティアをしている。
 主要組織の一つは昨年全国大会を宗教省の施設内で行った。現宗教大臣もNU議長もシーア派に理解のある人物である。
 ただ、冒頭で述べたようにシーア派への圧力は高まっている。マドゥラ島の襲撃事件の際には、当時の宗教大臣はむしろシーア派を非難し、NUの地方支部も圧力を追認するだけだった。難民問題の解決も先が見えない。またいつ起こるとも分からない事件に備えて、シーア派の静かな闘いが行われている。
(見市建=岩手県立大学総合政策学部准教授)

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