【最後の楽園 ラジャ・アンパット1】ウォーレスを追って 「ここは聖地なんだ」

 午前5時。波打ち際の集合場所に4人の男がやってきた。夜明けまでは1時間ほどある。ガイドのイェフーダ(45)は人数を確認すると、何も言わず、懐中電灯を手に海と反対側のジャングルの奥にある高台に向かって歩き始めた。真っ暗闇の中、ヘッドライトや懐中電灯を手にした4人が続く。
 西パプア州ラジャ・アンパット県のガム島にあるイェンベセール村を英国人が初めて訪れたのは1860年、今から156年前になる。当時37歳の博物学者、アルフレッド・ウォーレスが、ラジャ・アンパットにしかいない極楽鳥の一種、ベニフウチョウを捕えるため、この村で6週間を過ごしたときだ。
 そんな話を後で聞くことになる日本人(61)は、ビーチサンダルで山道をスタスタ登っていくイェフーダのピッチについていくのがやっとだった。1日で一番気温が低い時間帯なのに汗びっしょり。だが、オーストラリア人の父子のテオ(57)とゲーブル(20)、英国人のジョン(59)は疲れを見せない。ジョンは大きなリュックを背負い、皆がサンダルなのに登山靴だ。
 歩き始めて40分、突然急斜面が前に現れ、はいつくばるようにして登りきると、そこにヤシの葉で覆われた屋根の下に5メートルほどの長さの丸太のベンチがあった。ベニフウチョウの観察場所にたどり着いたのだ。
 ジョンはリュックから巨大な望遠レンズの付いたカメラと録音マイク、三脚を取り出した。イェフーダによると、ベニフウチョウは夜が明けると目の前の樹上にやってきて、求愛のダンスをする。1時間ほどでどこかに飛んでいくという。4人は一言も発することなく、ひたすら待ち続けた。空が明るくなってくると、イェフーダがおとりの鳴き声を上げる。
 「ワーク、ワーク、ワーク……ウォック、ウォック、ウォック」
 とても表現しようがないので、ウォーレスの本から借用した。確かに樹上でそんな鳴き声がしているようにも思える。だが、観察場所からでもおそらく10メートルは上だ。目をどれほど凝らしても、双眼鏡でのぞいても鳥らしきものすら見えない。もう、午前7時になろうかというとき、2羽ほどが飛ぶのが見えた。確かに赤い色だった。シャッターを押しながら、撮れていないことには自信があった。そして、15分後、イェフーダは「行ってしまった」といい、一行は来た道を戻り始めた。
 ジョンは筋金入りのバード・ウオッチャーで、世界中を旅しているという。「バード・ウオッチャーなら、極楽鳥の全種類を見たいと思う。ベニフウチョウとアカミノフウチョウだけはラジャ・アンパットでしか見ることができない。だからここは絶対来なくてはならない。いわば聖地の一つなんだ」。ジョンはダイビングもシュノーケリングもやらない。
 ×     ×
 昨年暮れ、米ケーブルニュースネットワーク(CNN)が「シュノーケリング最適地」の第1位にラジャ・アンパットを選出した。ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領は年末年始をラジャ・アンパットで過ごした。世界のサンゴの75%が集中するラジャ・アンパットは「奇跡の海」「最後の楽園」と呼ばれ、世界中から注目を集め、インドネシア政府も観光開発に力を入れているが、日本の旅行ガイドにはほとんど記述がない。ラジャ・アンパットの今を報告する。(敬称略、田嶌徳弘、写真も、つづく)
 アルフレッド・ウォーレス 1823年、英国ウェールズに生まれる。独学で博物学を学び、アマゾン探検後、1854〜62年、スマトラから西パプアまで、現在のインドネシアのほぼ全域の島を回り、自然、民族を研究。バリ島とロンボク島の間に動物相の違いがあることを示す「ウォーレス線」を発見。ダーウィンとは別に進化論を構想した。1913年没。「マレー諸島――オランウータンと極楽鳥の土地」「ダーウィニズム」ほか多数の著書がある。
 ラジャ・アンパット 「4人の王」を意味し、西パプア州の四つの大きな島、ワイゲオ島、バタンタ島、サラワティ島、ミスール島を中心に千を超える島や岩礁から成る。サンゴ礁はじめ海洋生物の多様性が豊かなことで知られる。

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