日イの惨劇の場 「スマラン事件」を歩く

 「インドネシアの独立を祈る、万才」。ブルー刑務所の壁に残された血染めの文字。連行された日本人救出のため、刑務所に憲兵隊員として突入した青木正文さんが目にしたものだった。銃で撃たれた日本人が死ぬ間際に書いた血文字のことを当時の知事に伝え、いつの日かこの事件を終息させるよう誓い合ったという。その現場を歩いた。
 惨劇が起こったブルー刑務所は今でも女性用の刑務所として使用されている。ブルー刑務所から徒歩で5分ほどで西バンジルカナル川に着く。この川の河口右岸に鎮魂の碑がある。当時ブルー刑務所に連行された都筑理さんの書によると、12部屋に日本人が収容され、殺害された後にこの川に葬られたという。
 長年スマランに住み、鎮魂の碑建立を陰で支えた酒井冨久子さん。「数年前までは事件当時の関係者が毎年慰霊に訪れていたけど、今は分からない」という。
 インドネシア側の協力があって作られた鎮魂の碑。スマラン中心部には高くそびえ立つ「青年の塔」がある。その塔のようにいつまでも残ってほしいと思った。(佐藤拓也、写真も)

官民協力し建立

 青木さんは建立の10年ほど前から日本人殉難者の慰霊碑建立を計画。ストゥリスノ市長のもと、3年前にスマラン市議会で全会一致で承認を受けた。土地は当時スマランの最大手不動産会社だったタナマス社から無償で提供されるなど、官民双方の協力のもと、鎮魂の碑の建立に至ったという。

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