開発進む美しい都市 親日の街スラバヤで3年 野村昇総領事に聞く

 2012年4月から在スラバヤ総領事を務めた野村昇さん(62)が23日、3年間の任期を終え、今度は在デンパサール総領事としてバリへ赴任する。インドネシア第2の都市スラバヤを中心に、開発が急速に進む東ジャワでの3年間について話を聞いた。

 スラバヤはインドネシア国内の主要都市の中で最も美しい都市と言われている。スラバヤ総領事館に赴任した1983年当時から、きれいな街だったという。「当時の市長はプルノモ・カシディという医者で、ごみを減らすなど衛生的・健康的な都市を目指す政策がとられていた」
 洪水対策について、ジャカルタ同様スラバヤは海抜0〜4メートルで、洪水が頻繁に起きやすい地域だと指摘。「近年、急速に都市開発が進み、建物の建設や地下水の汲み上げによる地盤沈下が進んだ。また保水能力を持つ木々の伐採に伴い、洪水被害が広がる危険性がある」
 スラバヤのリスマ市長は貧困層の支援強化や自ら地方へ足を運び現場で指揮をとるなど、庶民目線での政策に力を入れており、一般市民からの人気は高い。「オランダ統治時代の歴史的建造物などの文化保存活動や教育支援、渋滞緩和のための路面電車やモノレールの建設なども進むだろう」

▼発展する工業団地
 今は逆転しているが、かつて日系企業が進出する先はジャカルタではなくスラバヤが主流だった。街中にも「ジュパン(日本)」の文字が書かれた店や建物が多く残る。
 最近では日系の中小企業が増加。ユニ・チャームやヤクルト、井関農機など大手企業の進出が呼び水になっている。「たとえばユニ・チャームの物流にあわせて日立物流などの物流企業が入ってきている。電気やガスも余力があり、安定供給が可能だ」
 現在、東ジャワ州では東南アジア諸国連合(ASEAN)のアセアン経済共同体(AEC)発足を視野に入れ、工業団地を充実させる動きが活発化している。
 一つは、既存の工業団地を発展させる計画だ。パルスアン県にあるパルスアン工業団地(PIER)にはスラバヤのタンジュン・ペラック港と直結する高速道路の建設計画があり、今年一部区間の開通が見込まれている。また、モジョクルト県にあるンゴロ工業団地では拡大整備が進む。
 もう一つはバニュワンギ県での新たな工業団地の建設だ。「バニュワンギ県は東ジャワ州の最東端にあり、スカルウォ州知事によれば既に水深20メートルの港が整備されている。さらに若い人がスラバヤに来なくても高等教育を受けられるよう、国立アイルランガ大学の4つの学部が昨年8月に分校を開校している」

▼日本人に信頼感
 歴史的に見ると東ジャワ州は、インドネシアの中でも特に日本とイスラムとの関係が良好な地域という。国内最大のイスラム団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)は1920年代に東ジャワ州で発足した。「オランダと違い、日本はイスラムを理解しようとし、大切に守ろうとした。その歴史が今でも生きている」。東ジャワの人々も日本軍がインドネシア独立に協力した歴史を知る人が多く、日本人に対して親近感・信頼感を持っているという。
 「日系企業に向けてデモなどが起きるのは、真摯に向き合い対応してくれると知っているからであり、期待されている証拠。同じ土俵に上がって議論してくれる日系企業を高く評価している。とりわけ、東ジャワ州では州の投資調整局や労働局の協力もあり、邦人に危害を加えるようなデモはこれまでにない」
 スラバヤ総領事館にもデモ隊が訪れることが度々ある。「会って一通り話を聞くとテリマカシ(ありがとう)と言って帰っていく。石を投げられるようなことはないし、デモに来たというより、相談にくる人もいるくらいだ」

▼居住地域の変化
 インドネシア人と日本人の交流が減ったことについては居住地域が変わり、互いの接点が減ったため、自然な流れだと指摘する。「昔は一軒家で使用人と一緒に生活するのが主流だった。女中や運転手、その家族とも接して、互いに生活を知ることができる環境だった。家にいる駐在員婦人もインドネシア語で会話ができるようになり、社会に溶け込めた」
 だが、親日家が多いことに変わりはない。「日本の文化に親しみを感じ、自主的に日本の文化祭やイベントを開いてくれていることに『ありがとう』と思わないといけない。また、日本は現状にあぐらをかかず、日本から『お願いします』と頭を下げることも大切。でなければ将来、日本側の持つ感覚とのずれから、インドネシア側に放っておかれる可能性もある」と強調した。

▼アットホームな職場
 スラバヤ総領事館で働くスタッフは全員仲が良く、日本語能力試験N1合格者4人が働くなどインドネシア人スタッフのほとんどが日本語を理解でき、日本語で仕事ができる環境だという。「アットホームで家族のよう。互いに助け合いながら仕事をしているし、休みの日も電話すれば来てくれる。先代から続いてきた歴史が今の総領事館を物語っている」と笑顔を見せた。(毛利春香、写真も)

◇野村昇(のむら・のぼる)
 1952年生まれ。インドネシア大社会政治学部卒。2003年、スラバヤ総領事館デンパサール駐在官事務所長。09年、在マカッサル出張駐在官事務所所長。12年、駐スラバヤ総領事。

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