【バンダアチェの街角(中)】アチェ初のラーメン店 サーファーの復興の絆

 アチェ州バンダアチェ市中心部と近郊のロンガ海岸を結ぶトゥク・ウマール通り沿いに、赤ちょうちんがともる店がある。アチェ初のラーメン店「ミー・ラーメン・アキラ」だ。
 飲食店の多い商店街の中でも真っ赤な店構えはひときわ目立つ。店内の壁には浮世絵のポスターが貼られ、「拉麺・明」と書かれた店のロゴの背景には津波の絵も。ラーメンに舌鼓を打つ地元の人々や外国人客らでにぎわっていた。
 昨年8月にオープンしたばかり。店を切り盛りする経営者のムクリスさん(44)は「サーファー仲間で始めたラーメン店」と話す。マネジャーのボニーさん(30)やスタッフたちは、早朝からロンガ海岸でサーフィンを楽しんだ後、昼時に店を開けるという。
 ラーメンは初めてというアチェの人々も気軽に試せる価格。オリジナルは2万ルピア、ニンニク入りは2万5千ルピア。やや辛めのラーメン・アチェは3万ルピア。国産の食材を使用してコストを抑える一方で、千葉県のラーメン店で修行したというボニーさんによる本格派だ。

▽植樹から雇用創出へ
 同店は日本人とインドネシア人のサーファー仲間の交流から生まれた。店名の「アキラ」はロンガ海岸の波にほれ、1997年以降、アチェに通い詰めている佐藤明さん(54)の名前だ。
 佐藤さんはサーフショップ「オーシャン・ゾーン」(千葉県鎌ケ谷市)を経営。80年代からバリ島でサーフィンを楽しんできたが、混雑し始めたバリを離れて別のポイントを探索、アチェにたどり着いた。「サーフィンに最適な環境がアチェにあった。また帰り際にお土産をもらうなど、アチェの人々の優しさに触れることができた」と語る。
 2002年にはロンガ海岸付近に自宅を建設。サーフィン三昧の日々を送った。しかし治安情勢が悪化し、戒厳令発令で外国人への規制が強化されると、アチェを訪れることさえも難しくなった。
 そこへ大津波が来襲、自宅もたくさんの友人ものみ込まれた。ヤシの木に囲まれた緑豊かな海岸付近は荒野に一変。すぐに現地入りした佐藤さんは「ここはどこ?」とがくぜんとした。
 「避難生活を送る仲間たちの力になりたい」。復興支援会を立ち上げ、日本で募金活動を展開。自らロンガ海岸の植樹活動に参加し、一本一本に復興の祈りを込めた。
 だが仕事がなければ元の生活には戻れない。雇用創出を考え始めたころ、日本に研修に来ていたこともあるムクリスさんが「アチェの人々にラーメンを紹介したい」と提案し、開業に至ったという。
 佐藤さんは「アチェはインドネシアで最初にイスラムが伝わった地域。人々は信仰心が厚い。同時に他の文化の受け入れにも熱心さを感じる」と指摘する。多文化を取り入れながら、人々が訪問しやすい環境を作ることで、より豊かなアチェになってほしいと願っている。(配島克彦、写真も、つづく)

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