【ジョコウィ物語】(15) 露天商移転に切り込む 解決策は「ゾーニング」 (2014年11月10日)

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 ジョコウィは政治的ハードルのある露天商問題にも切り込んだ。これが後に彼の政治キャリアのランドマークになる。
 2012年にジャカルタの知事に転じると、10年以上失敗を続けたタナアバンの露天商数千の立ち退きを成功させ、その実績が大統領選に推された要因のひとつになる。
 ソロ市長に就任した2005年7月当時、街の至る所を露天商が埋めていた。その数は4千超に上り、大半が低所得者とみられた。
 露天商は難しい。多くの地方自治体が立ち退きを求めては失敗を繰り返した。州警備隊が強制的に退かしても、行き場のない露天商は必ず路上に戻るからだ。背後のプレマン(チンピラ)も障害になる。チンピラを味方につける古典的な方法もあるが、これは自治体にとって「御法度」だ。
 露天商の移転先の市場をつくる。これが突破口になる。「空間計画で必要なことは、露天商が商売するスペースを別に用意することだ」。ジョコウィは市庁舎で地元記者に明言した。参考になったのは土地の用途と建物の仕様をエリアごとに規制する「ゾーニング」。都市計画の考え方だ。「露天商ゾーンを作り、そのゾーン以外で営業すれば厳しく対処する」。
 「ジョコウィは、官僚のアイデアを生かすのに長けていた」。ソロ市市場管理局の担当者は思い出す。同局には露天商移転の先行例を一目見ようという他自治体の訪問者が引きも切らない。「伝統市場を改築したり新設したりして魅力的にし、露天商に入居してもらうことで解決できると考えた」。市場の活性化も同時に進める一石二鳥の施策だった。
 伝統市場は市の予算で建設することも決めた。前市長のスラメットは民間投資家と組んで市場改築を進めて、商人の大反発を呼んだ。
 移転が佳境を迎えたのはソロ中心部のバンジャルサリ、独立記念碑「モニュメン45」周辺だった。ここはソロ王家が保有する土地だが、露天商989人が占拠し、盗品の売買や売春がまん延、プレマンが闊歩した。都市のど真ん中の無法地域だった。
 この移転は語り草であり、今や口承文学の世界に入ってしまった感もある。「周囲が露天商の立ち退きを進めろと急かす中で、ジョコウィはゆるりと構えて、まず露天商とともに54回昼食をとり、最後に露天商から移転の承諾を得た。ジョコウィは人々の考えを汲むことができる」という「伝説」があるほどだ。
 実際には「ジョコウィが5回、市庁舎で説明会を開いた。それだけだった」。ノトハルジョ市場リサイクル商協同組合代表のエディ・サルニャタさんは振り返った。「主だった露天商のほか、警察、国軍、警備隊などの治安担当者も集まった。昼食会のようなものはなかった」。
 エディさんは元はバンジャルサリの露天商。「私が会長を務める以外に10の協同組合があり、意見をまとめるのが難しかった」という。

■売春街撤去し市場新築 
 露天商は移転先が本当に与えられるのか、疑ってかかった。しかも「赤線地帯だった所に移ることをいやがった」。ジョコウィが確保した移転先は街の南端のシリール。日本軍政期以来との説もある有名な売春街だった所を強制撤去して、市場を新築した。ジョコウィは05年9月に正式に移転案を打診。同12月に露天商向け会合を開いた。
 アイデアは素晴らしい。だが、長年続いてきた慣行を変えるのは、生半可ではなかった。ここから、長い四苦八苦が始まったのだ。(敬称略 吉田拓史)

◇ゾーニング
 住宅地や工場など土地の用途を決め、用途ごとに建物の仕様(建蔽率、セットバック、高さ、容積率など)を規制する都市計画の手法。

ノトハルジョ市場リサイクル商協同組合代表のエディ・サルニャタさん(左から2人目)
ノトハルジョ市場リサイクル商協同組合代表のエディ・サルニャタさん(左から2人目)

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