【ジョコウィ物語】(8)アチェ密林を切り開く 国営製材会社で調査係

 ジョコウィは国立ガジャマダ大学(UGM)卒業後、大学1年の時から交際していた妹の高校の同級生イリアナと結婚した。国営クルタス・クラフト・アチェ(KKA)社に就職が決まり、一緒にアチェへ行くことになった。 
 だが最初の赴任地はジャカルタ。アチェの現場に向かう前、東ジャカルタのコス(下宿)から南ジャカルタにある本社へ通った。学生時代、家業の手伝いなどでジャカルタに来ることはあったが住むのは初めて。通勤は公共バスのコパジャやバジャイ(三輪タクシー)を利用した。後にジャカルタ特別州知事選挙で出馬登録する際、当時と変わらない老朽化したコパジャに乗り、庶民派をアピールしたのはこの時の経験からだった。 
 KKAは83年に設立された外資系企業で、米国の製紙大手ジョージア・パシフィックと資本提携していた。ジョコウィが入社した85年には国営企業として独立、製材とセメント袋の製造を手掛ける有望企業だった。 

 ■森林開発の先遣隊 
 KKAの工場はアチェ州ロクスマウェにあった。1970年代以降、石油・天然ガスの一大生産拠点として注目された地域だ。エクソン・モービルなど米系石油・天然ガス会社が入り、中央政府と地元の対立が激化。アチェへの利益還元を訴える分離独立派の武装組織・自由アチェ運動(GAM)のゲリラ活動も10年がたとうとしていた。 
 ジョコウィの赴任先はロクスマウェから100キロ南の中部アチェの山岳地帯。「何もなく、木々を切り、従業員の寮を作るところから始めた」。ジョコウィと一緒に現地へ派遣された大学の同級生ハリ・ムルヨノは振り返る。 
 ジャングルの中で伐採したのは、常緑針葉高木のメルクシマツ。樹高は50メートル近くにもなる。日本のアカマツに似ていて、カンボジアマツとして日本が輸入したこともある。このマツの伐採・造林地開発に着手するための先遣隊がジョコウィたちだった。 
 まず自分たちで道を造り、ジャングルを切り開かなければ身動きがとれない。ジョコウィに課された仕事の一つは造林調査のルートづくりだった。森林を調べて地図にし、どこに道を造ればよいか判断材料を集める。この報告に基づいて林道を建設し、造林用の重機も入っていく。 
 材木の輸送にも苦労した。伐採したメルクシマツの丸太を100キロ離れたロクスマウェの工場へ運ぶが、当時アチェの治安は不安定。材木を積んだトラックを狙う集団が山林の中から出没することもある。「治安当局が常に輸送トラックを厳重警備していた。そういう時代だった」とハリは語る。 
 
■森林での新婚生活 
 ジョコウィはジャングルの中の寮でイリアナと新婚生活を始めた。静まりかえった森林に動物の鳴き声が響く。自家発電で同僚の家族たちとの集団生活。ロクスマウェやタケゴンの町へ買い物に行くにも2時間はかかる。ムハマディヤ大学を卒業するまで、ずっとソロで暮らしてきたイリアナにとって別世界だった。 
 転機はアチェ赴任から2年後にやってきた。イリアナが妊娠したのをきっかけに、ジョコウィはソロで自分の事業を起こそうと考えた。88年にソロへ戻り、89年長男ギブラン・ラカブミンが生まれる。叔父ミヨノの工場で製材・家具業をゼロから学ぶことを決意し、ソロ・プルウォダディ通り沿いにあるロダ・ジャティ社の工場が新しい仕事場となった。 
 一方でハリはジョコウィの2人目の妹イダヤティ(48)と結婚し、子どもを連れてアチェ生活を送った。「子どもは町の学校に通わせた。アチェですることはたくさんあったが、ジョコウィは別の道を選んだ」。結局、ハリは12年間アチェで仕事を続けた後、ソロで再びジョコウィと合流する。(敬称略、毎週月曜日掲載、配島克彦、写真も)

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