【火焔樹】天使の微笑み (2014年01月09日)

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 年の瀬も大詰めの昨年12月29日、1歳4カ月の小さな命が昇天した。生まれながらに心臓疾患を抱えていた彼女の父親は私の弟。つまり私の姪っ子だ。
 バンドンでのお葬式にジャカルタから駆け付けた時には、イスラム様式にのっとり、遺体は聖水で清められ、参列者のお祈りも終わり、白い布で全身が覆われていた。顔まで覆われているので最後の表情を拝むことは叶わなかった。
 その時「顔を見ますか」と、イスラムの導師が私に言った。見たいと思ったが、布を外すことによって、悲しみにくれるこの子のお母さんをより悲しませるのではないかと思い、私は「いいえ」と答えた。弟が小さな姪を胸に抱きかかえたまま手放そうとぜず、長い間埋葬をためらっていた。そのそばでお母さんが大きな声で「何の罪もないのに」と泣きじゃくった。
 その時の導師の言葉。「イスラムでは、純粋無垢な魂は、天使となり、そのまま真っ直ぐ一番高い所に行きますよ」「この子の旅立ちを喜びを持って見送ってあげよう」。そして弟は、彼女を手放した。
 その瞬間、顔を包んでいた布が少しはだけて、最前列に立っていた私に顔を向けるように、微笑を浮かべているような白い頬が見えた。「なんて美しいんだ」。これ以外の言葉は見当たらない。感動で心が震え、限られた人しかたどり着くことができない場所へと旅立つ人生最高の時を心の底から喜びを持って送り出そうと心に言い聞かせた。きっと、最後の表情を見れなかった私に気を利かせてくれたに違いない。これこそが「天使の微笑み(senyuman bidadari)」だ。
 イスラムでは、仏式に似た初七日が行われる。しかし、導師は「何を祈ることがあるのか、真っ直ぐ一番高い所に行くと言ったじゃないか」と言い、「初七日は必要ありません」と結論付けた。とても重要な儀式として位置付けられている初七日をやらないとは驚いたが、理由を聞けば納得する。これがイスラムなのか、インドネシア人の寛大さなのか、非常に人間味あふれる判断だった。
 大きな力に敬意を払い、そしてそれに導かれるように生かされる摂理を疑う理由は何もない。 人は何のために生まれてきたのか。長く生きているというだけで、こんなことすら満足に答えられない私に、小さな天使が教えてくれた。(会社役員・芦田洸 =ツヨシ・デワント・バックリー)

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